先生が語る大人の音楽

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ジミ・ヘンドリックス「エレクトロニック・レディランド」

ジミ・ヘンドリクス/エレクトロニック・レディ・ランド
このジャケットは、史上最高のロックギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの最高傑作といわれる「エレクトロニック・レディランド」のジャケット。ただし、オリジナルは、これではなく、女性のヌードが使われていて、物議をかもした。

ローリング・ストーン誌が選ぶグレイテストギタリストで、ジミ・ヘンドリックスは、見事1位に輝いた。彼は、66年にデビューして、70年9月18日に亡くなっているから、活動期間は、たったの4年しかない。4年で、ロックの歴史に永遠の名を刻んだのである。

彼の演奏に最初に出会ったのは、耳からではなく目から。映像作品である。「ウッドストック」という映画。ベトナム戦争に反対し、愛と平和の名の下、数十万人の若者がウッドストックという町に集まって行われた歴史的なロックイベントである。

ここには、サンタナ、ザ・フー、クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュなどが出演していたが、ジミ・ヘンドリックスは、「とり」。といっても、予定が延び延びになって、彼が出演したのは、夜明けになっていた。聴衆のかなりの人が帰った後、殺伐とした空気、散乱するゴミ、強風が吹きすさぶ中で、アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」を颯爽と演奏したシーンは、印象的だった。

誤解のないように言っておくが、彼は、右翼なのではない。愛国心を表現したのでもない。アメリカという国に対する怒り、人間に対する失望を、ノイズ・轟音とともに表現したのである。のちに、この演奏を見たストーンズのミック・ジャガーは「60年代最高のロックパフォーマンス」と評した。

なぜ、彼の演奏が心を打つのだろう。もちろん、有無を言わさない最高のテクニックがある。彼は、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と、エクスペリエンスという3人組のバンドを組んでいたが、とてもギター1本で演奏しているようには思えない。エフェクターを駆使して、フェンダー・テレキャスターというギターから考えられるあらゆる音色を生みだしていた。

そして、圧倒的な即興能力。「ウッドストック」のときのジミヘンの演奏だけを収録したCDや、公式・非公式に売られている数々のライブ盤を聴くと、あふれ出るアイディア、ギターを慈しんだり、いじめ抜いたりして表現される様々な感情。全然飽きない。

そういったライブ盤に比べると、ここで紹介する「エレクトロニック・レディランド」は、スタジオで作りこまれた感じが強い。なんと、キーボードには、スティーブ・ウィンウッドも参加している。最初の1曲から、音が右から左、左から右へと飛び交い、頭の中をかきまぜられる感じがする。

ここに収録された"All Along the Wachtower"は、もちろんボブ・ディランの名曲。ただし、この曲を聴いて、ディランの元ウタを聴くと、がっかりする。実は、ディランは、ジミヘンのアレンジを聴き、それをフィードバックして、自分がライブでは、ジミヘン版"All Along~”を演奏していた。それだけ、ジミヘンの演奏は、曲の本質に迫っていた。

彼を尊敬するミュージシャンは多い。ウッドストックにジミヘンを出すべきだと主張したのはポール・マッカートニーだし、ジェフ・ベックとは、お互いに尊敬し合っていた。前の回に紹介したフランク・ザッパは、ジミヘンがステージで燃やして焼け焦げたギターを大切に所有していた。クラプトンは、一緒に共演したときに「お前はベーシストになった方がいい」と言われて喧嘩したらしいが、名作「レイラ」で「リトル・ウィング」をカバーしている。

そして、あのジャズの帝王マイルス・デイヴィスが、このジミヘンとの共演を切望し、実現寸前までいっていたという。それが実現しなかったのちも、自分のバンドのギタリストに「ジミヘンみたいに弾け」とうるさく言っていたらしい。もしもふたりが共演した作品があったら、ロック・ジャズを超えた人類史上の宝になっていたかもしれない。

ギターという楽器からあらゆる音色を引き出し、あらゆるニュアンスを表現したジミヘンであったが、そのようなギタリストとしての魅力に加えて、ボーカリストとしての魅力も感じる。低音で吐き捨てるように歌う方法は、ディランの影響も色濃いが、アメリカでは、「ブラック・エルビス」と呼ばれたこともある。

しかし、なぜか黒人コミュニティには「裏切り者」のレッテルを貼られて、人気がなかった。先日、テレビのドキュメンタリーで、モハメッド・アリとジョー・フレイジャーのことが放映されていた。アリは、黒人至上主義者でベトナム戦争反対論者、一方フレイジャーは、たたき上げのスポーツマンで白人にも人気があった。ふたりの一騎打ちに際して、アリ側は、黒人対白人の戦いという宣伝を繰り広げ、フレイジャーは「アンクルトム」(白人に媚びる黒人)というレッテルが貼られる。フレイジャーの方が貧しい苦労人で、黒人労働者の境遇を肌身にしみてわかっていたにもかかわらず。

私は、アリの華麗なボクシングが好きでファンだったが、この話を聴いて、彼を大っきらいになった。ジミヘンの演奏にも、フレイジャーと同じような苛立ちを感じる。自分の育ったコミュニティから疎外される言いようのない悲しみ。

ジミヘンの音楽のバックボーンには、ブルースがある。もちろん、それを自分の音楽に昇華しているわけだが、このブルースの味は、何度もこのブログに書いているように、白人アーティストには絶対に出せない。

彼は、麻薬に手を出しており、心身はボロボロになっていった。最後には、睡眠薬の多量摂取が原因で亡くなったという。70年という年は、それ以外にも、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリソンなど、かけがえのないロッカーたちがこの世を去っている。

ロックの力によって、愛と平和のメッセージによって、世界を変えることができるっていう考えが幻想ではないかと、だんだん疑われ出すのもこの時期である。、いまだパティ・スミスのように、ロックの力で世の中を理想の世界に導くことができると信じているアーティストもいるけれども。ジミヘンの音楽を聴くと、まだロックの幻想が効力を発揮していた時代の空気を、胸いっぱいに吸うことができる。

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フランク・ザッパ「シーク・ヤブーティ」

フランク・ザッパ/シーク・ヤブーティ
この怪しい面構えのオヤジは、フランク・ザッパ。知る人ぞ知る、天才音楽家。ロック・マニアの試金石。一度はまったら抜け出せないアリ地獄のような音楽を残した男である。

「大ザッパ論」という分厚い書物が出ているほど、音楽評論家・マニアの議論・ウンチクの対象になっているにもかかわらず、彼くらい、つかみどころがないアーティストはいないのではないか。

たまたま、本人の顔がよくわかるという理由で、「シーク・ヤブーティ」というアルバムを選んでみたが、どの作品が代表作かと、ファン20人くらいに聞いたら、たぶん18作品くらい並ぶだろう。53歳で亡くなるまで、50作くらいの作品を残しているが、代表作がなんだかわからない。

もうひとつ残念なのは、代表的なヒット曲がないということである。ここでも紹介した変人トッド・ラングレンには”I Saw the Light"という必殺の名曲があるが、ザッパは結局大ヒット曲を生むことがなかった。たぶんヒットチャートに関心がなかったのだろう。

とにかく、日本でのザッパのイメージは、「訳がわかんないヤツ」といったところではないか。その責任の一端は、たぶんレコード会社に入り込んで社員として生息するザッパマニアが、ザッパの精神を表現しようと勝手な思い込みで付けた変態的なアルバムの日本語タイトルにある。

たとえば、
Weasels Ripped My Flesh (イタチたちが私の肉を引きちぎった)が、「いたち野郎」
Ship Arriving too Late to Save a Drowning Witch(到着するのが遅すぎて溺れている魔女を救えなかった船)が、なぜか「フランク・ザッパの○△□」
まあ、One Size Fits All を「万有同サイズの法則」というのは、結構イケていると思うが。

もう一つの原因は、たぶんデビュー作、Mothers of Invention名義の「フリークアウト!」にあると思う。このアルバムは、1966年、つまりビートルズの「サージェント・ペパーズ」の2年前に発表されたトータル・コンセプトアルバムで、前衛的なエッセンスがたくさん詰め込まれた傑作として名高い。いわゆる歴史的な名盤というもので、よくロックの名盤ガイドに載っている。ところが、はっきりいって、ロックファンがきいても、ちっとも面白くない。ところどころ「当時としては凄いな」と思わせるところがあるが、やっぱり最後の2曲は、冗長で退屈である。

私も、この作品を一番最初に聞いてしまった被害者である。「ザッパ=わからん」と感じて、ずっと避けてきて、だいぶ回り道をしてしまった。おそらく、ロックファンがアルバムとして最初に聞くといいのは、「ホット・ラッツ」か「ワン・ザイズ・フィッツ・オール」であろう。

こういった作品を聴けばわかるが、バンドの演奏テクニックが並はずれている。何も難しいことを考えずに、演奏の素晴らしさに酔いしれてしまおう。本人のギターも凄いが、彼が超厳しいオーディションで選び抜いたアーティストたちの演奏、その一糸乱れぬアンサンブルにはため息が出る。

ザッパ作品を分かりにくくしているのは、彼の音楽の幅の異常な広さにも原因がある。ロック・フォークはもとより、ブルース、ファンク、ジャズ(フュージョン)、ドゥーワップ(彼の最も好きな音楽かもしれない)、アラブをはじめとする民族音楽、そしてクラシックの現代音楽(一流の作曲家として認められていた)などなど。すべての音楽的要素をブラックホールのように吸いこんで、ザッパの音楽として宇宙に放出する。

もうひとつ、日本人に分かりにくいのは、独特のユーモア。エロティックな歌詞、そして日本でいえばコミックバンドのような演奏上のフェイクや物まね。こういった要素で、彼はライブに足を運んでくれた観客を喜ばせていた。

1曲だけ、ザッパの真髄を理解する「とっかかり」となる演奏を紹介しよう。「The Best Band You Never Heard in Your Live」という2枚組ライブ盤の最後に納められた"Stairway to Heaven"である。そう。ツェッペリンの代表作。いや、すべてのロック曲の頂点に君臨するといってもいい超名曲を、ザッパは、ライブのラストで演奏している。

なんと、レゲエのリズムで。ここでまず「くすっ」と来るが、まだまだ序の口。歌詞に合わせて、たとえば「雷鳥がさえずる」という部分では、ピーチク・パーチクと笛で効果音。「笑い声がこだまする」というくだりでは、みんなでキャッキャと笑い声をあげる。そう。みんな薄々感じていたはず。だが、名曲を前にして言えない事実。この曲。始まって3-4分くらいは、ちょっと退屈なのである。だから、退屈しないように、いろいろ仕掛けて楽しませてくれる。

そして、ようやく間奏へ。どうするのかと思ったら、ジミー・ペイジのギターソロの部分を採譜して、そのままのメロディをサックス・トランペットなどのブラスで完全コピー。メロディーの美しさを際立たせて盛り上げる。

間奏後のコーダ。「あの」ボーカルの絶唱は? 当然のように、ロバート・プラントの物まね。同じようにまじめにドラマチックに絶叫する。「なるほどね、いい部分はそのまま演奏するんだぁ」と思ううちに、感動のエンディングへ。ところが、最後の最後で、「スッチャンチャン」とおちゃらけて、みんなはコケル。そう。クレージー・キャッツと植木等のギャグのパターンとほとんど同じ。

このギャグを高度な演奏力で、すべてのテクニックを注ぎ込んで全力で行うのである。手抜きはなし。ちなみにこのアルバムには、ジミヘンの名曲"Purple Haze"、クリームの名曲"Sunshine of Your Love"もカバーされている。聴きたくなったでしょう?

単純なアメリカ人は、ライブで単純にそういったエンターテイメントを楽しんでいたに違いない。しかし、そこには、ザッパの観客に対する冷徹な視線「ほーら、こんな音楽が好きなんだろ」といった上から目線を感じる。わかってくると、その先にもうひとつ先に底意地の悪い仕掛けがあって、その先にもうひとつ罠がしかけられていて。といったマトリョーシカ状態になっているのが、ザッパの音楽である。

というように、ザッパの音楽は、奥が深い。奥が深いから飽きない。いろいろな音楽体験をして、ザッパに戻る。そうすると、必ず新しい発見がある。私にとっては、「柱の傷は一昨年の5月5日の背比べ」の柱の機能を果たしている。

彼は、53歳という若さで亡くなったが、もしも70歳を過ぎたら、どんな音楽を演奏していたのだろうか。きっとアルバムの数は、100枚をゆうに超えていたに違いない。

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マリア・カラス「ベスト・オブ・マリア・カラス」

マリア・カラス/ベスト・オブ・マリア・カラス
このジャケットは、史上最高のプリ・マドンナ、マリア・カラスのベスト盤である。彼女以前に、彼女のようなオペラ歌手は存在しなかったし、今後絶対に彼女のようなオペラ歌手は出現しないと断言してしてしまおう。

マリア・カラスは、ギリシャ移民の子供で、それほど音楽的に恵まれた環境に育ったわけではない。彼女は、実は努力の人である。

オペラの主役を歌う女性には、大きく分けて、ソプラノ歌手とメゾソプラノ歌手がいる。もちろん、オペラの主役の多くは、ソプラノ歌手が担っている。マリア・カラスは、そもそもメゾソプラノの音域しか持っていなかった。それを、無理やり、努力によってソプラノの音域まで広げていった。彼女の全盛期は、ほんの10年ほどで、やがてソプラノの声を失ってしまう。それも仕方のないことだった。

彼女がオペラ界に残した最高の功績は、プリマドンナの概念を根本から変えた点である。それまでのオペラ歌手は、ビア樽のような体型をしていて、舞台の中央に立って、甲高い声で観客を魅了していた。「美人だ」という設定なのに、リアリティは二の次である。ところが、マリア・カラスは、本当に美しかったのである! 今のオペラ・ハウスの主役をはる人で、デブは皆無である。これは彼女のおかげである。

彼女本人ももともと太っていた。それを、身の毛もよだつ方法で、無理やりダイエットして、その体型を獲得したのである。どのようにダイエットしたのかは、ここでは書かないので、関心がある人は、ネットで調べてほしい。

マリア・カラスの当たり役には、いろいろあるが、私が一番好きなのは、椿姫のヴィオレッタである。このヴェルディの傑作オペラ。初演のときから、大ブーイングを受けていた。主人公は、高級娼婦で、肺病を患っている。強い意志と気品と、それから病から来る弱さを同時に表現しなければならない。おまけに、歌はめちゃくちゃ高度なテクニックを要求される。なのに、初演の女優は、デブで、リアリティがなかった。

まさに、マリア・カラスのためにあるような役である。ところが、この作品にかぎって、正規のスタジオ録音が残っていない。ほとんどの作品を担当している大指揮者セラフィンとマリア・カラスが音楽的な理由で喧嘩をして、録音されなかったという。ということで、オペラファンは、音の悪い実況録音盤で、我慢している。

私が最初に聞いた彼女の声は、「トスカ」だった。その前に、ガイド本などで、どんなに凄い歌手か、十分知らされていた。それでも、最初に彼女の声を聞いたときの衝撃は忘れられない。実は、このトスカについては、第2幕だけでが、チャリティコンサートで演じた映像が残されている。これは人類の宝である。もちろん白黒だが、動いている彼女を鑑賞することができる。彼女が歌っているだけではなく「演技」をしているのが、よく分かる。

政治運動をしている恋人が警察長官に逮捕される。警察長官は、人気歌手であるトスカに、自分の愛人になれば、恋人の命を助けると持ちかける。そのねちねちした脅しに翻弄されいくトスカ。そして、恋人が拷問される声を聞くに至って、承諾してまう。しかし、しかし、やはり恋人を裏切ることはできず、隙をみて、警察長官をナイフで刺して、殺害する。(映像にはないが、第3幕には悲劇的などんでん返しが待っている)

ほかにも「ノルマ」「カルメン」など、お気に入りの作品はたくさんある。しかし、まあ、オペラだから、本来は視覚的に楽しむものだし、いろいろな出演者が出てくるので、マリア・カラスだけを楽しむわけにはいかない。その点、このアルバムは、彼女の代表的な名唱が集められている。

オペラとしては演じていない作品もたくさんあるが、とくに、「ノルマ」の「清らかな女神よ」と、「サムソンとデリラ」の「あなたの声に心は開く」は、息を引き取る時に聞いていたい歌声。

マリア・カラスは、感情が激しく、恋多き女で、スキャンダラスな人生を送った。特に、ギリシャの船舶王のオナシスとの浮名は有名だったが、結局結ばれなかった。オナシスは、ケネディの元妻、ジャクリーンと結婚して、彼女の元を去る。

晩年の彼女は孤独で、パリのアパートで一人静かに息を引き取る。まだ54歳だった。椿姫のヴィオレッタは、最後には恋人の胸の中で息絶えるが、それよりも孤独な人生だったかもしれない。

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ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」

ビリー・ホリデイ/奇妙な果実
このジャケットは、私が最も愛するジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイの全盛期を記録したアルバムである。

女性歌手の世界には、それぞれのジャンルに絶対的な存在がいる。クラシックのオペラでは、マリア・カラス。シャンソンでは、エディット・ピアフ。日本の歌謡曲では、美空ひばり。たぶん、イタリアのカンツォーネの世界にも、ブラジルのサンバの世界にも、スペインのタンゴ・ヴォーカルの世界にも、そのような絶対的な存在がいるだろう。

ジャズ・ヴォーカルの世界では、サラ・ヴォーンという人もいれば、エラ・フィッツジェラルドという人もいるかもしれない。しかし、あと50年ほど経てば分かると思うが(生きてねーよ)、この世界での絶対的な存在は、ビリー・ホリデイであろう。

彼女は、ある意味、歌手として成功したという事実を除けば、想像できる最悪の人生を歩んだかもしれない。路上で生まれたと言われるエディット・ピアフよりも、陰惨な人生である。

売春婦の母親が10代半ばで生んだ娘。幼児期には親戚の家で虐待。椅子に座り腕に抱かれていたお祖母さんが急死。硬直した腕で首を絞められ、目が覚める。この事件で、一生のトラウマを抱える。11歳のとき、15歳のときに、レイプされる。売春で逮捕歴もある。

歌姫として成功した後は、大麻・コカイン・LSD、あらゆる麻薬に手を出し、2回ほど刑務所のお世話になり、ライセンスを剥奪され、酒を出す場所では歌えなくなってしまう。ヒモやギャングの情婦で、稼いだお金はすべて彼らの遊び代と麻薬代に消えていく。

晩年は、声もしわがれ、音程も不安定に。リズムが合わなくなり、専属のピアニストには逃げられ、バンドから見放される。新曲の歌詞を覚えるのもままならなかったらしい。

そして、ボロボロになって、44歳の短い生涯を終える。

この絵に描いたような転落人生の中で、しかし彼女は、その歌をレコードの溝に刻んだ。そこで聴かれる彼女の歌は、聖母の歌のように清らかで、それを聴いた人を魅了して、癒していく。そのビリー・ホリデイが人気の面でも、技術的にも、もっとも充実した時期の作品集がこれである。

タイトル曲の"Strange Fruit"(奇妙な果実)とは、リンチを受けて木につるされ、焼かれた黒人の死体のことである。

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leeaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees

訳す必要もないほど、簡潔に描写されたシーン。ルイス・アレンという高校教師が書いたこの詩に出会ったビリーは、これを歌にしようと思い立つ。ビリー本人も作曲に関わったと自伝には書いているが、実際にはルイスひとりが作曲も手がけた。

この限りなく悲惨な曲を、怒りを胸の奥に押し込めるようにして、淡々と歌い紡いでいく。後から、悲しみが追いかけてくるような感じである。このことからも分かるように、彼女は、運命にただただ翻弄されていたわけでなく、人種差別に敢然と立ち向かう強い意志を持っていた。

このアルバムには、"Yesterdays","I Cover the Water Front", "I'll be Seeing You"といった名唱が収められている。限りない優しさに満ちた歌声で、心を包み込んでくれる。これ以外のアルバムには、"Lover Man"や"Don't Explain", "God Bless the Child"といった国宝もののレコーディングもある。

しかし、私が最も好きなのは、20歳前後のビリーが、当時愛人だったサックス奏者、レスター・ヤングと残した演奏をコンピレーションしたアルバムである。その「ビリーとレスター」と題するアルバムでは、才能溢れる二人の若い男女が、無限に広がっていく夢を語り合っている。

死の前年、レスター・ヤングの訃報を知ったビリーは、葬儀に駆けつけ参列した。しかし、レスターの妻は、ビリーがそこで歌うのを拒否したという。何を歌うつもりだったのだろう。

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ディープ・パープル「ライブ・イン・ジャパン」

ディープ・パープル/ライブ・イン・ジャパン
ロックについての記事、何件書いただろう? それなのに、一番大事なバンドについて書くのを忘れた。その名は、ディープ・パープル。「イン・ロック」「マシン・ヘッド」が代表作だと言われているが、それがどうした。史上最強のロックライブアルバムは、これである。

私が生まれて初めて体験したロックコンサートは、レインボーというバンドだった。中学2年の頃。場所は、武道館。北海道のツアー中、興奮した観客が将棋倒しになって若者がひとり亡くなるという事件があったと記憶している。

このバンドのギタリストであるリッチー・ブラックモアが、ディープ・パープル脱退後に作ったのがレインボーというバンドだった。当時、レインボーは、武道館を満員にするほどの超人気バンドだった。それも、このディープ・パープルというスーパーバンドの余勢を駆ってのことである。

ディープ・パープルに話を戻そう。当時、私は、ビートルズ一筋。ほぼ1年間、お小遣いはすべてビートルズのLP代に消え、ビートルズ以外は全く聴かなかった。このビートルズ中毒から脱することができたのは、キング・クリムゾンとディープ・パープルのおかげである。

鳥のヒナは、最初に見たモノを親だと信じてしまうようにプログラム化されているようだが、私にとって、ロック・バンドは、ツェッペリンでもストーンズでもなくディープ・パープルである。それほど、最初の出会いは衝撃的だった。

ロックバンドをやっていたいとこの部屋で「歌と演奏、どっちが好きか?」と聴かれて、ちょっときばって「演奏の方が好き」と言った私のために、彼がかけてくれたのが、このアルバムだった。1曲目の"Highway Star"を聴いて、ぶっ飛んだ。

私は、ビートルズには、ロックのすべてがあると信じているが、そのビートルズに不足しているもの、そしてロックのエッセンスでもあるもの。それがこの曲に詰め込まれている。それは、前に突っ込むようなドライブ感である。まあ、曲の題名からも分かるように、ハイウェイをぶっ飛ばす内容なんだから、ドライブ感がなければマズイわけだが。

ボーカルは、イアン・ギラン。レコードで聴いただけだからわからなかったが、きっとマイクを振り回しながら、かっこいいパフォーマンスを見せていたに違いない。ロック・ボーカルのお手本のような堂々たる歌。歯切れがいい。バックの音の大きさに全然負けていない。しかし、この曲のポイントは、彼の歌にあるのではない。

間奏に入って、最初に飛びだすのが、キーボードのジョン・ロード。最初は、キーボードの音もギターの音も区別がつかなかった私だが、そのメロディアスで分かりやすい演奏に耳を奪われた。そして、ボーカルが入って、2つめの間奏が、リッチー・ブラックモア。よく聞きこめばわかるように、最初のジョン・ロードの演奏にレスポンスしている。

当時、この演奏を口ざめるほど、何度も何度も聴いたものだった。彼らは、スーパーバンド。みんな自分がリーダーだと思っている。エゴがぶつかり合い、ケンカも絶えなかった。そんな緊張感から生まれた演奏なのである。

ここには、それ以外にも"Smoke on the Water"や"Chiild in Time"といった名曲が詰め込まれている。ツェッペリンとは違って、演奏がたとえ長くても、けっして飽きさせない、ある種のショーマンシップがあった。

この種の音楽には、聴くべき年代というものがあるのだろう。だんだん大人になるにつれて、聴かなくなっていった。しかし、今でもI-podで"Highway Star"を流すと、ストレスに満ちていたけど、なんだか楽しいことがいっぱいあった中学生の気分に浸ることができる。

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