先生が語る大人の音楽

先生が音楽について語ります。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

ミケランジェリ「ショパンリサイタル」

20070819202334.jpg

アルトゥーロ・ベネディッティ=ミケランジェリ。イタリアのピアニストである。アッシジの聖フランチェスコの末裔とも言われる。医者・パイロット・レーサーの肩書ももち、大戦中はムッソリーニのファシズム政権下、レジスタンス運動の闘士だった。

そのような本人にまつわるエピソード・伝説には事欠かないが、彼の演奏を聴くと、そんな情報が余計なことと思われる。「研ぎ澄まされている」という表現が、この人ほど合う人はいない。

私がクラシック音楽を聴く理由は、前にも書いたが、曲の良さを楽しむためではない。演奏を楽しむためである。では、どのような演奏が楽しめるのか。私は、日常生活から切り離された非日常の時間を持ちたいがために音楽を聴く。だから、最も好むのは「異常な」演奏。アファナシエフとも共通するところであるが、ミケランジェリの演奏も、他の演奏家では絶対に聴くことができない「異常さ」がある。その異常さに身を浸すことで、現実世界からちょっとだけ離脱することができるのである。

このアルバムは、ショパン集。マズルカ10曲を選んでいるほか、前奏曲とバラードを1曲ずつ。スケルツォを最後に配している。こんなプログラム、凡庸なピアニストが演奏したら、ただのつならないショパン作品集である。

マズルカは、2分に満たないものが多く、6分を超える1曲を除いて、あとは3分程度。だが、その1曲1曲がすごい。交響曲1曲分といったらオーバーだが、そのくらいの情報量が含まれている。聴けば聴くほど、曲の隅々まで、「考え抜いて」演奏しているのがわかる。

聴いてすぐわかるのが、音色の「異常さ」。ピアノは、バイオリンなどと違って、素人でも簡単に音を出せる。しかし、ミケランジェリの音は、明らかに他の演奏家とは違う。1音1音の音もパワーも違うが、もっとすごいのが音色を変化させていくテクニックである。彼の演奏会の模様が映像で残されているが、プロのピアニストが参考にするほど繊細なペダル(足元にあるヤツ)ワークだそうだ。

このようなミケランジェリのテクニックの本領が最も発揮されるのは、ドビュッシー。グラモフォンというクラシック最大のレーベルに、ドビュッシーの作品集が残されていて、人類の財産となっている。ただし、ドビュッシーならば、彼がバチカンでローマ教皇の前で演奏したCDの方が、鬼気迫る演奏で、お勧めである。

そのほか、ラベルのピアノ協奏曲。協奏曲なので、当然オーケストラが付いているのだが、聴いているうちに、オーケストラの演奏が邪魔に感じられ、やがてピアノの音しか耳に入らなくなるという珍品である。それから、ラフマニノフのピアノ協奏曲。ラフマニノフの協奏曲では、2番と3番が有名で、飛びぬけて名曲だが、ミケランジェリは、2番にはラフマニノフ本人、3番にはホロヴィッツの名演が残されているので、録音する必要はないとして、最もマイナーな4番だけを録音している。彼は、このつまらない曲で、人を感動させてしまうのだ。

ミケランジェリは、キャンセル魔としても知られる。お客さんが会場に入って、ミケランジェリがステージに登場。椅子に腰掛け、ピアノを鳴らす。その響きが気に入らないと、舞台の袖に引っ込みそのままキャンセル、といったことがよくあったらしい。だから、彼がすんなりと演奏を始めると、客席から安堵のため息が漏れたという。

想像するに、彼はイタリア人特有の職人気質(かたぎ)を持っていたのではないか。つまり、お金を払って会場に足を運んだ人に下手な演奏は聴かせられないと、環境が整わない中途半端な条件では演奏をしないし、演奏を始めたらベストを尽くす。ノーミス演奏をすることで有名だったというし。

そんな生き方を知ると、偏屈な人間かと思われるが、そうではない。レジスタンス運動をしていたという経歴からもわかるように、人間好きであり、しかも教え魔だった。1000人単位で弟子を抱えていたことでも有名である。ただ、弟子のひとりアルゲリッチ(おそらく現役ピアニストで実力・人気ナンバーワン)によると、ただうなずいて聴いているだけで、何も教えてくれなかったそうだが。

ミケランジェリの演奏は、BGMには向かない。自然と耳がスピーカーの方に引きつけられてしまう。音色は、氷のように冷たく、ナイフのように鋭く、旧約聖書の神のように厳しい。しかし、アルバム全体を聴きとおすと、また息が詰まるような演奏を聴きたくなる。究極の厳しさの先にヒューマニズムが感じられるからかもしれない。
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

おひさしぶりです。

日常とは違った非日常を経験するために音楽を聴くという感覚は僕もクラシック音楽を聴いているときによく感じます。今は、音楽を聴くために時間をさくというよりは、何かをするために音楽を聴くといったことが多くなったような気がします。そういっている僕も音楽を聴きながらパソコンをしています。

ウォークマンが発達した今では外で音楽を聴くことが多く、音楽のためにだけ時間をつくるというような人は少なくなったような気がします。

そういった時代であるからこそ先生の音楽に対する姿勢にはとても感嘆してしまいます。

音楽を聴くときを非日常的な体験として経験するということは、文学や映画をみるということにも言えるような気がします。文学や映画のすばらしさは非日常的な世界、自分が体験することができなかった世界を体験できるところにあるような気がします。他人(文学の登場人物など)が生きた人生を追体験し、自分の主観を入れたり、感じたりすることで、追体験とは言わないまでも自分の人生の時間にその文学を読んだりした別の非日常の時間をプラスすることができる。

これが文学や映画のすばらしさとはなにかと言われたときの僕なりの答えです。

先生にばかやろーって言われてしまいそうです。笑

音楽家も自分の生きた経験から楽曲を作るということがあると思います。その自分の体験を他者に伝えるために演奏する。自分の感じたりしたことを音楽というもので表現する。バッハの曲もベートーヴェンの曲が21世紀の現在も聴け、追体験でき、演奏者のそれぞれの演奏とあわせて聴けることができる。
なにか文学と同じような印象を受けます。

非日常的な体験としての音楽は文学を読むということと同じようにすばらしい偉人との対話であると個人的に思います

もうこれ以上でしゃばったことはかかないようにします。笑

たたかれそうですので…。
長々と失礼しました。

いとう | URL | 2007年08月21日(Tue)02:04 [EDIT]


トラックバック

TB*URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

ショスタコーヴィチ全作品解読

本書以上に詳しい作品解説はないのではなかろうか。伝記本と併読すると非常に有用。推薦盤が挙げられているのも参考になります。筆者は環境工学の新進研究者。在野の愛好家が書いたとは思えない、膨大なデータベース。それもそのはず筆者は5歳でバイオリンを弾き始めたアマ

音楽の思い入れ 2007年08月20日(Mon) 07:34


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。