先生が語る大人の音楽

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ジミ・ヘンドリックス「エレクトロニック・レディランド」

ジミ・ヘンドリクス/エレクトロニック・レディ・ランド
このジャケットは、史上最高のロックギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの最高傑作といわれる「エレクトロニック・レディランド」のジャケット。ただし、オリジナルは、これではなく、女性のヌードが使われていて、物議をかもした。

ローリング・ストーン誌が選ぶグレイテストギタリストで、ジミ・ヘンドリックスは、見事1位に輝いた。彼は、66年にデビューして、70年9月18日に亡くなっているから、活動期間は、たったの4年しかない。4年で、ロックの歴史に永遠の名を刻んだのである。

彼の演奏に最初に出会ったのは、耳からではなく目から。映像作品である。「ウッドストック」という映画。ベトナム戦争に反対し、愛と平和の名の下、数十万人の若者がウッドストックという町に集まって行われた歴史的なロックイベントである。

ここには、サンタナ、ザ・フー、クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュなどが出演していたが、ジミ・ヘンドリックスは、「とり」。といっても、予定が延び延びになって、彼が出演したのは、夜明けになっていた。聴衆のかなりの人が帰った後、殺伐とした空気、散乱するゴミ、強風が吹きすさぶ中で、アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」を颯爽と演奏したシーンは、印象的だった。

誤解のないように言っておくが、彼は、右翼なのではない。愛国心を表現したのでもない。アメリカという国に対する怒り、人間に対する失望を、ノイズ・轟音とともに表現したのである。のちに、この演奏を見たストーンズのミック・ジャガーは「60年代最高のロックパフォーマンス」と評した。

なぜ、彼の演奏が心を打つのだろう。もちろん、有無を言わさない最高のテクニックがある。彼は、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と、エクスペリエンスという3人組のバンドを組んでいたが、とてもギター1本で演奏しているようには思えない。エフェクターを駆使して、フェンダー・テレキャスターというギターから考えられるあらゆる音色を生みだしていた。

そして、圧倒的な即興能力。「ウッドストック」のときのジミヘンの演奏だけを収録したCDや、公式・非公式に売られている数々のライブ盤を聴くと、あふれ出るアイディア、ギターを慈しんだり、いじめ抜いたりして表現される様々な感情。全然飽きない。

そういったライブ盤に比べると、ここで紹介する「エレクトロニック・レディランド」は、スタジオで作りこまれた感じが強い。なんと、キーボードには、スティーブ・ウィンウッドも参加している。最初の1曲から、音が右から左、左から右へと飛び交い、頭の中をかきまぜられる感じがする。

ここに収録された"All Along the Wachtower"は、もちろんボブ・ディランの名曲。ただし、この曲を聴いて、ディランの元ウタを聴くと、がっかりする。実は、ディランは、ジミヘンのアレンジを聴き、それをフィードバックして、自分がライブでは、ジミヘン版"All Along~”を演奏していた。それだけ、ジミヘンの演奏は、曲の本質に迫っていた。

彼を尊敬するミュージシャンは多い。ウッドストックにジミヘンを出すべきだと主張したのはポール・マッカートニーだし、ジェフ・ベックとは、お互いに尊敬し合っていた。前の回に紹介したフランク・ザッパは、ジミヘンがステージで燃やして焼け焦げたギターを大切に所有していた。クラプトンは、一緒に共演したときに「お前はベーシストになった方がいい」と言われて喧嘩したらしいが、名作「レイラ」で「リトル・ウィング」をカバーしている。

そして、あのジャズの帝王マイルス・デイヴィスが、このジミヘンとの共演を切望し、実現寸前までいっていたという。それが実現しなかったのちも、自分のバンドのギタリストに「ジミヘンみたいに弾け」とうるさく言っていたらしい。もしもふたりが共演した作品があったら、ロック・ジャズを超えた人類史上の宝になっていたかもしれない。

ギターという楽器からあらゆる音色を引き出し、あらゆるニュアンスを表現したジミヘンであったが、そのようなギタリストとしての魅力に加えて、ボーカリストとしての魅力も感じる。低音で吐き捨てるように歌う方法は、ディランの影響も色濃いが、アメリカでは、「ブラック・エルビス」と呼ばれたこともある。

しかし、なぜか黒人コミュニティには「裏切り者」のレッテルを貼られて、人気がなかった。先日、テレビのドキュメンタリーで、モハメッド・アリとジョー・フレイジャーのことが放映されていた。アリは、黒人至上主義者でベトナム戦争反対論者、一方フレイジャーは、たたき上げのスポーツマンで白人にも人気があった。ふたりの一騎打ちに際して、アリ側は、黒人対白人の戦いという宣伝を繰り広げ、フレイジャーは「アンクルトム」(白人に媚びる黒人)というレッテルが貼られる。フレイジャーの方が貧しい苦労人で、黒人労働者の境遇を肌身にしみてわかっていたにもかかわらず。

私は、アリの華麗なボクシングが好きでファンだったが、この話を聴いて、彼を大っきらいになった。ジミヘンの演奏にも、フレイジャーと同じような苛立ちを感じる。自分の育ったコミュニティから疎外される言いようのない悲しみ。

ジミヘンの音楽のバックボーンには、ブルースがある。もちろん、それを自分の音楽に昇華しているわけだが、このブルースの味は、何度もこのブログに書いているように、白人アーティストには絶対に出せない。

彼は、麻薬に手を出しており、心身はボロボロになっていった。最後には、睡眠薬の多量摂取が原因で亡くなったという。70年という年は、それ以外にも、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリソンなど、かけがえのないロッカーたちがこの世を去っている。

ロックの力によって、愛と平和のメッセージによって、世界を変えることができるっていう考えが幻想ではないかと、だんだん疑われ出すのもこの時期である。、いまだパティ・スミスのように、ロックの力で世の中を理想の世界に導くことができると信じているアーティストもいるけれども。ジミヘンの音楽を聴くと、まだロックの幻想が効力を発揮していた時代の空気を、胸いっぱいに吸うことができる。

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フランク・ザッパ「シーク・ヤブーティ」

フランク・ザッパ/シーク・ヤブーティ
この怪しい面構えのオヤジは、フランク・ザッパ。知る人ぞ知る、天才音楽家。ロック・マニアの試金石。一度はまったら抜け出せないアリ地獄のような音楽を残した男である。

「大ザッパ論」という分厚い書物が出ているほど、音楽評論家・マニアの議論・ウンチクの対象になっているにもかかわらず、彼くらい、つかみどころがないアーティストはいないのではないか。

たまたま、本人の顔がよくわかるという理由で、「シーク・ヤブーティ」というアルバムを選んでみたが、どの作品が代表作かと、ファン20人くらいに聞いたら、たぶん18作品くらい並ぶだろう。53歳で亡くなるまで、50作くらいの作品を残しているが、代表作がなんだかわからない。

もうひとつ残念なのは、代表的なヒット曲がないということである。ここでも紹介した変人トッド・ラングレンには”I Saw the Light"という必殺の名曲があるが、ザッパは結局大ヒット曲を生むことがなかった。たぶんヒットチャートに関心がなかったのだろう。

とにかく、日本でのザッパのイメージは、「訳がわかんないヤツ」といったところではないか。その責任の一端は、たぶんレコード会社に入り込んで社員として生息するザッパマニアが、ザッパの精神を表現しようと勝手な思い込みで付けた変態的なアルバムの日本語タイトルにある。

たとえば、
Weasels Ripped My Flesh (イタチたちが私の肉を引きちぎった)が、「いたち野郎」
Ship Arriving too Late to Save a Drowning Witch(到着するのが遅すぎて溺れている魔女を救えなかった船)が、なぜか「フランク・ザッパの○△□」
まあ、One Size Fits All を「万有同サイズの法則」というのは、結構イケていると思うが。

もう一つの原因は、たぶんデビュー作、Mothers of Invention名義の「フリークアウト!」にあると思う。このアルバムは、1966年、つまりビートルズの「サージェント・ペパーズ」の2年前に発表されたトータル・コンセプトアルバムで、前衛的なエッセンスがたくさん詰め込まれた傑作として名高い。いわゆる歴史的な名盤というもので、よくロックの名盤ガイドに載っている。ところが、はっきりいって、ロックファンがきいても、ちっとも面白くない。ところどころ「当時としては凄いな」と思わせるところがあるが、やっぱり最後の2曲は、冗長で退屈である。

私も、この作品を一番最初に聞いてしまった被害者である。「ザッパ=わからん」と感じて、ずっと避けてきて、だいぶ回り道をしてしまった。おそらく、ロックファンがアルバムとして最初に聞くといいのは、「ホット・ラッツ」か「ワン・ザイズ・フィッツ・オール」であろう。

こういった作品を聴けばわかるが、バンドの演奏テクニックが並はずれている。何も難しいことを考えずに、演奏の素晴らしさに酔いしれてしまおう。本人のギターも凄いが、彼が超厳しいオーディションで選び抜いたアーティストたちの演奏、その一糸乱れぬアンサンブルにはため息が出る。

ザッパ作品を分かりにくくしているのは、彼の音楽の幅の異常な広さにも原因がある。ロック・フォークはもとより、ブルース、ファンク、ジャズ(フュージョン)、ドゥーワップ(彼の最も好きな音楽かもしれない)、アラブをはじめとする民族音楽、そしてクラシックの現代音楽(一流の作曲家として認められていた)などなど。すべての音楽的要素をブラックホールのように吸いこんで、ザッパの音楽として宇宙に放出する。

もうひとつ、日本人に分かりにくいのは、独特のユーモア。エロティックな歌詞、そして日本でいえばコミックバンドのような演奏上のフェイクや物まね。こういった要素で、彼はライブに足を運んでくれた観客を喜ばせていた。

1曲だけ、ザッパの真髄を理解する「とっかかり」となる演奏を紹介しよう。「The Best Band You Never Heard in Your Live」という2枚組ライブ盤の最後に納められた"Stairway to Heaven"である。そう。ツェッペリンの代表作。いや、すべてのロック曲の頂点に君臨するといってもいい超名曲を、ザッパは、ライブのラストで演奏している。

なんと、レゲエのリズムで。ここでまず「くすっ」と来るが、まだまだ序の口。歌詞に合わせて、たとえば「雷鳥がさえずる」という部分では、ピーチク・パーチクと笛で効果音。「笑い声がこだまする」というくだりでは、みんなでキャッキャと笑い声をあげる。そう。みんな薄々感じていたはず。だが、名曲を前にして言えない事実。この曲。始まって3-4分くらいは、ちょっと退屈なのである。だから、退屈しないように、いろいろ仕掛けて楽しませてくれる。

そして、ようやく間奏へ。どうするのかと思ったら、ジミー・ペイジのギターソロの部分を採譜して、そのままのメロディをサックス・トランペットなどのブラスで完全コピー。メロディーの美しさを際立たせて盛り上げる。

間奏後のコーダ。「あの」ボーカルの絶唱は? 当然のように、ロバート・プラントの物まね。同じようにまじめにドラマチックに絶叫する。「なるほどね、いい部分はそのまま演奏するんだぁ」と思ううちに、感動のエンディングへ。ところが、最後の最後で、「スッチャンチャン」とおちゃらけて、みんなはコケル。そう。クレージー・キャッツと植木等のギャグのパターンとほとんど同じ。

このギャグを高度な演奏力で、すべてのテクニックを注ぎ込んで全力で行うのである。手抜きはなし。ちなみにこのアルバムには、ジミヘンの名曲"Purple Haze"、クリームの名曲"Sunshine of Your Love"もカバーされている。聴きたくなったでしょう?

単純なアメリカ人は、ライブで単純にそういったエンターテイメントを楽しんでいたに違いない。しかし、そこには、ザッパの観客に対する冷徹な視線「ほーら、こんな音楽が好きなんだろ」といった上から目線を感じる。わかってくると、その先にもうひとつ先に底意地の悪い仕掛けがあって、その先にもうひとつ罠がしかけられていて。といったマトリョーシカ状態になっているのが、ザッパの音楽である。

というように、ザッパの音楽は、奥が深い。奥が深いから飽きない。いろいろな音楽体験をして、ザッパに戻る。そうすると、必ず新しい発見がある。私にとっては、「柱の傷は一昨年の5月5日の背比べ」の柱の機能を果たしている。

彼は、53歳という若さで亡くなったが、もしも70歳を過ぎたら、どんな音楽を演奏していたのだろうか。きっとアルバムの数は、100枚をゆうに超えていたに違いない。

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ディープ・パープル「ライブ・イン・ジャパン」

ディープ・パープル/ライブ・イン・ジャパン
ロックについての記事、何件書いただろう? それなのに、一番大事なバンドについて書くのを忘れた。その名は、ディープ・パープル。「イン・ロック」「マシン・ヘッド」が代表作だと言われているが、それがどうした。史上最強のロックライブアルバムは、これである。

私が生まれて初めて体験したロックコンサートは、レインボーというバンドだった。中学2年の頃。場所は、武道館。北海道のツアー中、興奮した観客が将棋倒しになって若者がひとり亡くなるという事件があったと記憶している。

このバンドのギタリストであるリッチー・ブラックモアが、ディープ・パープル脱退後に作ったのがレインボーというバンドだった。当時、レインボーは、武道館を満員にするほどの超人気バンドだった。それも、このディープ・パープルというスーパーバンドの余勢を駆ってのことである。

ディープ・パープルに話を戻そう。当時、私は、ビートルズ一筋。ほぼ1年間、お小遣いはすべてビートルズのLP代に消え、ビートルズ以外は全く聴かなかった。このビートルズ中毒から脱することができたのは、キング・クリムゾンとディープ・パープルのおかげである。

鳥のヒナは、最初に見たモノを親だと信じてしまうようにプログラム化されているようだが、私にとって、ロック・バンドは、ツェッペリンでもストーンズでもなくディープ・パープルである。それほど、最初の出会いは衝撃的だった。

ロックバンドをやっていたいとこの部屋で「歌と演奏、どっちが好きか?」と聴かれて、ちょっときばって「演奏の方が好き」と言った私のために、彼がかけてくれたのが、このアルバムだった。1曲目の"Highway Star"を聴いて、ぶっ飛んだ。

私は、ビートルズには、ロックのすべてがあると信じているが、そのビートルズに不足しているもの、そしてロックのエッセンスでもあるもの。それがこの曲に詰め込まれている。それは、前に突っ込むようなドライブ感である。まあ、曲の題名からも分かるように、ハイウェイをぶっ飛ばす内容なんだから、ドライブ感がなければマズイわけだが。

ボーカルは、イアン・ギラン。レコードで聴いただけだからわからなかったが、きっとマイクを振り回しながら、かっこいいパフォーマンスを見せていたに違いない。ロック・ボーカルのお手本のような堂々たる歌。歯切れがいい。バックの音の大きさに全然負けていない。しかし、この曲のポイントは、彼の歌にあるのではない。

間奏に入って、最初に飛びだすのが、キーボードのジョン・ロード。最初は、キーボードの音もギターの音も区別がつかなかった私だが、そのメロディアスで分かりやすい演奏に耳を奪われた。そして、ボーカルが入って、2つめの間奏が、リッチー・ブラックモア。よく聞きこめばわかるように、最初のジョン・ロードの演奏にレスポンスしている。

当時、この演奏を口ざめるほど、何度も何度も聴いたものだった。彼らは、スーパーバンド。みんな自分がリーダーだと思っている。エゴがぶつかり合い、ケンカも絶えなかった。そんな緊張感から生まれた演奏なのである。

ここには、それ以外にも"Smoke on the Water"や"Chiild in Time"といった名曲が詰め込まれている。ツェッペリンとは違って、演奏がたとえ長くても、けっして飽きさせない、ある種のショーマンシップがあった。

この種の音楽には、聴くべき年代というものがあるのだろう。だんだん大人になるにつれて、聴かなくなっていった。しかし、今でもI-podで"Highway Star"を流すと、ストレスに満ちていたけど、なんだか楽しいことがいっぱいあった中学生の気分に浸ることができる。

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ビリー・ジョエル「ストレンジャー」

ビリー・ジョエル/ストレンジャー
このカッコいいジャケットは、今や私と同じようにメタボおじさんになってしまったピアノマン、ビリー・ジョエルの最高傑作「ストレンジャー」。

私がビリー・ジョエルの音楽に最初に出会った場所を何故かはっきりと覚えている。高校生のとき、家族と行った温泉街のホテル。そこにあったジュークボックス。何か聞きたいなと思って、何気なくかけたのが、ビリー・ジョエルの"My Life"だった。

キャッチーなメロディ。ちょっと人を喰ったボーカル。そして、魅力的なピアノ。ハードロックを聴いていた高校生の私には、ちょっと大人な音楽だった。

大学に入った頃、いまやこれもメタボおじさんの田中康夫が書いた「なんとなくクリスタル」がベストセラーになり、そこに登場するポール・デイビスの"I Go Crazy"など、この手のオシャレな音楽が街に流れるようになった。早稲田の汚いサークルのラウンジにたむろしていた私は、田中康夫の描いた世界に、言いようのない反発を覚えたが、ビリー・ジョエルとボズ・スキャッグスは、よく聴いていた。

デビュー曲"Piano Man"(中島みゆきの「時代」のような位置づけ)がそこそこヒットして、比較的恵まれた形でキャリアをスタートした。ちなみに、サザンの桑田圭祐は、このビリー・ジョエルに大きな影響を受けている。たとえば、「私はピアノ」は、ピアノマンのイメージを原由子にあてはめたもの。曲調は全然違うが、しっかり歌詞の中に「雨の日にはビリー・ジョエル」と入っている。

しかし、"Piano Man"のヒット後、低迷の時代が続く。それを打破して、一気にスターダムに上りつめたのが、この「ストレンジャー」という作品である。このアルバムは、ニューヨークをテーマにしたコンセプトアルバムのような趣である。

歯切れのいいボーカル、単純そうで実は凝っている(途中3拍子になったりして)"Moving Out"。そのあとに、哀感豊かなピアノの調べにのって口笛が流れ、"Stranger"が始まる。私は、この曲が彼の最高傑作だと思っている。詞のリズムと曲のメロディが、これほどばっちり合っているのは、ほかにビートルズの"Help"くらいじゃないか?

次の曲は、グラミー賞受賞曲の"Just the Way You Are"。これを「素顔のままで」と訳したのは許せる。もはやスタンダードナンバーの名曲。最初聴いたときは、フワフワしたメロディが気に入らなかったが、じわじわと良さが分かってくる曲。こういうのを大人の歌と言うのでだろう。

それ以外にも、大人のカップルが語り合っている情景が浮かぶ"Scene from the Italian Restraunt"。ピアノマンの本領発揮の"She's Always Woman"や"Viena"などが並び、ラスト曲らしいラスト曲"Everybody Has a Dream"。これで終わるかと思いきや、最後にストレンジャーの時に流れていた口笛がリフレイン。完璧な構成。すべてが名曲である。

次作「ニューヨーク52番街」には、"My Life"や"Honesty"が、次のアルバム「ガラスのニューヨーク」には、"You May Be Right"など好きな曲が並ぶ。この頃のビリーは最高だった。

そのあと、歴史に名を刻むアルバムを残そうと変な野心を燃やし「ナイロン・カーテン」を発表。いい曲がないわけではないが、われわれがビリーに期待していたものとは違う。背伸びしすぎ、上から目線の曲にファンからそっぽを向かれてしまう。

しかし、反省して、今度は60年代ポップスを意識した(というかパクッた)「イノセント・マン」で復活。トップスターに返り咲く。しかし、私が好きなのは、ニューヨーカーの日常を描いたもの。彼は、情景の描写が上手で、映画のシーンを見るよう。そこに、最高のメロディが聞こえてくれば、何も言うことがない。

それにしても、"Honesty"の歌詞ほど、的確に今の社会状況を予言しているフレーズはないような気がする?
Honesty, such a lonely word,
Everyone is so untrue


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ロッド・スチュアート「アトランティック・クロっシング」

ロッド・スチュアート/アトランティック・クロッシング
この派手派手しいジャケットは、ロッド・スチュアートというイギリス最高のロックボーカリストの作品である。

今の若いリスナーで、ロッド・スチュアートという人を知っている人はいるのだろうか? 知っている人がいても、スタンダードナンバーを歌い続けているオジサンとしてのイメージしかないのではないのか。はっきり言ってしまおう。ロッド・スチュアートは、かつて、ストーンズのミック・ジャガー、ヴァン・モリソンに匹敵する名ボーカリストとして名を馳せたロック界の最重要人物なのである。

彼は、1回前に取り上げたトム・ウェイツ同様、いや、それ以上のシワガレ声である。酒の飲みすぎで声を潰したともいわれる。しかし、そのシワガレ声で繰り出される力強いシャウトは、ロックボーカリストの規範となった。

彼は、18歳から音楽活動をはじめ、いくつかのバンドを渡り歩いた後、21歳の時にジェフ・ベックのグループに加入する。そこで完成されたバンドフォーマット、つまりボーカリストは基本的に歌に専念。ギタリストは、ひとりでガンガン弾きまくるという演奏パターンは、レッド・ツェッペリンのモデルになったもので、事実、当時のジェフ・ベック・グループのレパートリーとツェッペリンの初期のレパートリーは重なる部分が大きい。もっとはっきり言ってしまうと、ツェッペリンは、ジェフ・ベック・グループのコピーバンドとしてスタートしたのである。

このバンドがもう少し続いていたら、ロック史に残る名盤を次々と生み出していったと思うが、ジェフ・ベックにバンド運営能力はなく、音楽上の意見の対立からロッドはあっさりと脱退。スモール・フェイセス(のちにフェイセスに改名)をロン・ウッドと結成する。ロン・ウッドは、のちにセカンド・ギタリストとして、ストーンズに参加する。このフェイセスは、商業的にも成功し、ロッドは、イギリスの女の子たちのアイドルになる。

フェイセスと並行してソロ活動も展開。いい曲を見つけてきては、せっせとソロアルバムの方に録音していた。バンドのアルバムを手抜きしているとの非難を浴びてしまい、フェイセスの人気が絶頂だったにもかかわらず、バンド脱退を余儀なくされる。そして、「ガソリン・アレイ」「エヴリィ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」といった名作アルバムを発表する。ボブ・ディラン、エルトン・ジョンから、モータウンのR&Bグループの曲など、卓越した選曲眼で、自分の声質にあった曲を見つけてきていた。

「エヴリィ~」に入っていた"Maggie May"は、英・米の両方のチャートでナンバーワンヒットを記録した。これを機に、大西洋を渡り、巨大マーケットであるアメリカに拠点を移して活動することを決断する。そして、発表されたのが「アトランティック・クロッシング」である。

実は、このアルバム。CDでは魅力が伝わらないかもしれない。LPの頃は、A面がファーストサイド、B面がスローサイドとなっていて、私は、ひたすらスローサイドを聴いていた。しかし、CDでは、そのままかけると、ファーストサイドが始まってしまう。

このアルバムのスローサイド。キング・クリムゾンのファーストのA面、ビートルズの「アビー・ロード」のB面と並んで、アルバムの1面単位においては、私の中ではベストスリーに入るほど気に入っている。1曲目は、エヴリシング・バット・ザ・ガールもカバーした名曲"I Don't Wanna Talk About It"。「もう話したくない」という邦訳はどうにかして欲しいが、これはスゴイ名唱。

ロッドは、シワガレ声ではあるが、特にスローな曲を歌った時に、歌詞の意味が直接心に突き刺さってくる印象を受ける。言葉を大切に大切に歌っているのだ。絶対に寝起きに聴いてはいけない音楽。寝る前に部屋を暗くしてしみじみと聴いてください。

2曲目は、"It's Not the Spotlight"。夜の雰囲気がよく出ている。シワガレているが、老人の声ではなく、何か甘酸っぱい青春のイメージを持たせる声。3曲目は、"This Old Heart of Mine"。アイズレー・ブラザースの名曲。ロッドは、"Twisting the Night Away"など、ソウル系のメロディアスな曲を歌わせると絶品。

4曲目、朴訥としたラブソング"I Still Love You"を経て、最後に壮大なスケールの"Sailing"。この曲もカバーだが、ロッドのこれが決定版。武道館に観にいったライブでも、この曲がラストナンバーで演奏された。これを聴いて感動しない人は、たぶん感性が鈍いのだろう。高校時代カセットテープにお気に入りの曲を編集して、ウォークマンで聴いていたが、キング・クリムゾンの壮麗な"Epitaph"がフェイドアウトしていった後に、光がさっと差し込むようなイントロをもったこの"Sailing"をラストに持ってくるというパターンが好きだった。

この後に発表した「ナイト・オン・ザ・タウン」「明日へのキックオフ」も同程度の名盤。その後、だんだんとパワーダウンしていく。考えたら、彼は1945年生まれだから、もう63歳。スタンダードも歌いたくなるわな。まだまだ、スタンダードシンガーとしては、フランク・シナトラの足元にも及ばないが、いつか小さなホールで、彼の歌をじっくりと聴いてみたいと思う。

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