先生が語る大人の音楽

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ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」

ビリー・ホリデイ/奇妙な果実
このジャケットは、私が最も愛するジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイの全盛期を記録したアルバムである。

女性歌手の世界には、それぞれのジャンルに絶対的な存在がいる。クラシックのオペラでは、マリア・カラス。シャンソンでは、エディット・ピアフ。日本の歌謡曲では、美空ひばり。たぶん、イタリアのカンツォーネの世界にも、ブラジルのサンバの世界にも、スペインのタンゴ・ヴォーカルの世界にも、そのような絶対的な存在がいるだろう。

ジャズ・ヴォーカルの世界では、サラ・ヴォーンという人もいれば、エラ・フィッツジェラルドという人もいるかもしれない。しかし、あと50年ほど経てば分かると思うが(生きてねーよ)、この世界での絶対的な存在は、ビリー・ホリデイであろう。

彼女は、ある意味、歌手として成功したという事実を除けば、想像できる最悪の人生を歩んだかもしれない。路上で生まれたと言われるエディット・ピアフよりも、陰惨な人生である。

売春婦の母親が10代半ばで生んだ娘。幼児期には親戚の家で虐待。椅子に座り腕に抱かれていたお祖母さんが急死。硬直した腕で首を絞められ、目が覚める。この事件で、一生のトラウマを抱える。11歳のとき、15歳のときに、レイプされる。売春で逮捕歴もある。

歌姫として成功した後は、大麻・コカイン・LSD、あらゆる麻薬に手を出し、2回ほど刑務所のお世話になり、ライセンスを剥奪され、酒を出す場所では歌えなくなってしまう。ヒモやギャングの情婦で、稼いだお金はすべて彼らの遊び代と麻薬代に消えていく。

晩年は、声もしわがれ、音程も不安定に。リズムが合わなくなり、専属のピアニストには逃げられ、バンドから見放される。新曲の歌詞を覚えるのもままならなかったらしい。

そして、ボロボロになって、44歳の短い生涯を終える。

この絵に描いたような転落人生の中で、しかし彼女は、その歌をレコードの溝に刻んだ。そこで聴かれる彼女の歌は、聖母の歌のように清らかで、それを聴いた人を魅了して、癒していく。そのビリー・ホリデイが人気の面でも、技術的にも、もっとも充実した時期の作品集がこれである。

タイトル曲の"Strange Fruit"(奇妙な果実)とは、リンチを受けて木につるされ、焼かれた黒人の死体のことである。

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leeaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees

訳す必要もないほど、簡潔に描写されたシーン。ルイス・アレンという高校教師が書いたこの詩に出会ったビリーは、これを歌にしようと思い立つ。ビリー本人も作曲に関わったと自伝には書いているが、実際にはルイスひとりが作曲も手がけた。

この限りなく悲惨な曲を、怒りを胸の奥に押し込めるようにして、淡々と歌い紡いでいく。後から、悲しみが追いかけてくるような感じである。このことからも分かるように、彼女は、運命にただただ翻弄されていたわけでなく、人種差別に敢然と立ち向かう強い意志を持っていた。

このアルバムには、"Yesterdays","I Cover the Water Front", "I'll be Seeing You"といった名唱が収められている。限りない優しさに満ちた歌声で、心を包み込んでくれる。これ以外のアルバムには、"Lover Man"や"Don't Explain", "God Bless the Child"といった国宝もののレコーディングもある。

しかし、私が最も好きなのは、20歳前後のビリーが、当時愛人だったサックス奏者、レスター・ヤングと残した演奏をコンピレーションしたアルバムである。その「ビリーとレスター」と題するアルバムでは、才能溢れる二人の若い男女が、無限に広がっていく夢を語り合っている。

死の前年、レスター・ヤングの訃報を知ったビリーは、葬儀に駆けつけ参列した。しかし、レスターの妻は、ビリーがそこで歌うのを拒否したという。何を歌うつもりだったのだろう。

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リー・モーガン「キャンディ」

リー・モーガン/キャンディー
前回のクリフォード・ブラウンに続いて、今回もジャズ史に残る天才トランペッターを。ジャケットは、リー・モーガンが名門ブルーノートに残した名盤「キャンディ」である。

彼も、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに在籍していた。クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリスと、凄いトランペッターは、みんながみんなブレイキーの下で腕を磨いている。

なぜだろう? と一瞬考えて、すぐに思いついた。もうひとつのエリートコースであるマイルス・デイヴィスのバンド。マイルスがトランペッターだったので、トランペッターは育たなかったのであった。

ということで、このリー・モーガン。天才少年だった。クリフォード・ブラウンの生まれ変わり。といっても、ブラウニーが死んだ頃生まれたわけでない。しかし、彼の死を悼んで、サックス・プレイヤーのベニー・ゴルソンが作曲した"I Remember Clifford"。この曲を、リー・モーガンは、19歳の時に吹き込んでいる。このプレイたるや、ジャズ・トランペッターのすべてのバラード演奏の頂点に君臨する決定的な演奏である。

50年以上もジャズを演奏してきたかのような老成したプレイ。のちに、この曲には歌詞が付けられてスタンダード化したが、彼の演奏ほど胸を打つものに出会ったことはない。

10代にしてこんな演奏をしてしまったリー・モーガンが、ワンホーンで吹き込んだ名作が、この「キャンディ」である。ジャズにおいて、ワンホーンで1枚のアルバムを通すのは、至難の業である。サックスとのアンサンブルやアドリブの応酬ができない。ひたすら、トランペットの技術で聴かせることになる。

この後、ジャズ・メッセンジャーズに参加して、ベニー・ゴルソンとのコンビで、ハード・バップの名作を次々残していく。「モーニン」や「サンジェルマンのメッセンジャーズ」は、そんなときの名作。この「キャンディ」でも、氷の上を滑るような滑らかなアドリブプレイを聴くことができる。

これは天才の業。彼の場合、反射能力というか、頭の回転の速さを感じる。凄いスピードで計算した上で絶妙なフレーズを繰り出す。何が求められているのかを瞬時に判断して、反応していく。それを、テクニックが支えているという感じである。

このアルバムでは、"I Remember Clifford"を彷彿させるバラード演奏、"All the Way"を聴くことができる。この曲は、フランク・シナトラの名唱で知られる名曲。美空ひばりの生前に、彼女の持ち歌を録音することがはばかられたように、シナトラの眼の黒いうちに、若造がこの曲を吹き込むのは、普通の神経で考えられない。この傲慢さ。そして、すべての人を納得させてしまう圧倒的な演奏。

しかし、才能のおもむくままに演奏を続けてきたことから、そのヒラメキが弱まってくると、だんだん演奏がつまらなっていく。リー・モーガンは、いったんシーンから消えかけた。しかし、その彼に、神は再び微笑みかける。1963年に吹き込んだ"The Sidewinder"。車のコマーシャルに使用されて、ジャズ史上に残る大ヒット。ポップチャートの25位まで上昇する。

この曲。いまやリー・モーガンの代名詞となっている。ジャズに関心があるロックファンに聞かせたい。8ビードに乗って、トランペットが疾走する。スタイリッシュで、ジャズ的な難解さは皆無。ジャズとロックが最高レベルで融合した瞬間がそこにある。

ところが、最後の最後に、今度は悪魔が彼に微笑んでしまう。72年、ニューヨークのジャズクラブで出演中。演奏と演奏の間の休憩中に、クラブに乗り込んできた愛人が拳銃を発射。あっけなく射殺されてしまう。写真でみる彼は、伊達男。きっとモテたに違いない。それが仇になったか?

私は、彼の天才が最も輝いていた時期。若くして円熟の域に達し、自分の天才に酔っていた時期。そんな時期の演奏に惹きつけられる。結局、彼は、"I Remember Clifford"1曲だけでも、ジャズの歴史に名を刻んでいたのだろう。

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クりフォード・ブラウン「クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ」

クリフォード・ブラウン/クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ
これは、伝説のトランペッター、クリフォード・ブラウンがマックス・ローチとのコンビで残した数々の名作の一枚。

史上最高のトランペッターは誰か? もちろん、総合的に見たら、マイルス・デイヴィスに決まってる。しかし、トランペット奏者ということだったら、私は躊躇することなく、クリフォード・ブラウンをあげる。

彼の前には、ジャズの創始者といっても過言ではないルイ・アームストロング、チャーリー・パーカーと組んでパップ期を創成し、すべてのトランペッターの憧れだったディジー・カレスピーもいたし、彼の後には、テクニック的には上を行くフレディ・ハバードやウィントン・マルサリスもいる。

しかし、ジャズファンの多くが大好きな時期、ハードバップ期のトランペッターに限定するならば、最高のトランペッターはクリフォード・ブラウンしか考えられないだろう。それほど、彼の作品における演奏は圧倒的である。

彼は、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーの出身者である。多くのジャズマンが、このバンドで修業をして、一人前になっていった。この時代の作品では、「バードランドの夜」が最高。冗談ではなく、トランペットの口から火が吹いているのではないかというような熱い演奏。

クリフォード・ブラウンは、当時のジャズマンに珍しくクリーン(麻薬をやってないということ)だった。大学では数学を学んでいたという経歴を聴くと、理科系でクールなイメージを持つ。しかし、演奏は常に暑く、熱い。1枚、「ウィズ・ストリングス」というオーケストラをバックに録音したものがあるが、意外と面白くない。実は、マイルスとはちがって、バラード演奏が苦手だったのではないかと思われる。

しかし、その流麗なアドリブプレイは、とても人間業とは思えない。マイルスがその演奏を聴いて嫉妬したと伝えられるが、入念な準備をして、おそらくアドリブの大部分を事前に練習してくるマイルスとは違って、メロディがこぼれ落ちてくるといった感じである。

彼でさえも、その場ですべてのフレーズを生み出していたとは思えないが、そこで紡ぎだされるメロディは、作曲家が入念に作った曲のように完成されている。このアルバムに残された"Joy Spring"という曲で、彼が行ったアドリブは、ジャズ史上もっとも美しいアドリブではないか? マンハッタン・トランスファーというボーカルグループは、このアドリブをそのまま譜面に落して録音しているくらい。

クリフォード・ブラウンの作品には、出来不出来がない。ブルー・ノート時代のものも素晴らしいし、ヘレン・メリルという女性ジャズ・ボーカリストのバックを務めた作品"You'd be so Nice to Come Home"で聴かれるソロは絶品。

しかし、やはり、マックス・ローチと組んでいた頃がバンドとしてのまとまりも強く、彼のトランペットも輝いていた。マックス・ローチは、チャーリー・パーカーやパド・パウエルのバックを務めていたジャズ史上最強のドラマーである。そのローチのサポートを得て、伸び伸びと演奏をしている。

このアルバムには、"Joy Spring"のほかにも"Delliah""The Blues Walk""Daahoud"という名演奏が収録されいる。このアルバムの弱点としてよく指摘されるのが、サックスを担当しているハロルド・ランドである。たしかに、超一流の演奏とはいえない。しかし、無駄のない演奏で、クリフォードの演奏を引き立てている。逆に、その後任にバンドに加入したソニー・ロリンズとの相性は良くなかったようである。

天才の名を欲しいままにし、周りの人間に愛されていたクリフォード・ブラウンは、しかし、突然の死を迎える。1956年6月26日、バンドのピアニスト、リッチー・パウエルの妻が運転する車に乗って、雨の中、シカゴに向かったがスリップを起こしてしまう。リッチーとともにこの世を去ってしまう。25歳だった。私は彼の一生に思いをはせるとき、ルネサンスの画家、ラファエロの一生と重ね合わせる。

マイルスに牽引されていたジャズは、常に進歩していくことが運命づけられた音楽ジャンルである。ハードバップ時代は次第に終息に向かいつつある時代。彼がそのまま生き続けたら、時代遅れの存在になり、懐メロ奏者になってしまったかもしれない。しかし、とても短い活動期間に彼が残した作品と、彼の死を悼んでベニー・ゴルソンが作曲した"I Remember Clifford"は、ジャズの歴史に永遠に刻まれるのである。


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ハービー・ハンコック「スピーク・ライク・ア・チャイルド」

ハービー・ハンコック/スピーク・ライク・ア・チャイルド
完璧なジャケット。ブルーノートというレーベルには、すばらしいジャケットデザインがたくさんあるが、その中でも最も大好きな作品である。そっとキスをしている二人は、ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコックとその奥さんである。

ハービー・ハンコックは、私がはじめてライブで実体験したジャズプレーヤーである。当時、ジャズの魅力にハマりたてのいたいけな大学院生で、お金が全然ないころ。東京の青山に「ブルーノート」というジャズライブ専門のスポットがあって、そこに彼を見に行った。

私は、マイルス・デイヴィスのコンポにいた頃から、彼のリリカルなピアノが大好きで、在団時および直後に、ブルーノートに残した作品を特に愛していた。彼のリリカルなピアノをこの耳で聴けるものと期待していた。ところが、私がブルーノート東京で聴いたライブでは、その半分がピアニカくらいの大きさのヘンなキーボードをプカプカ鳴らせるものだった。

ということで、高いお金を払ったのに、とガッカリして帰った記憶がある。しかーし。昔の彼はすごかった。マイルスのバンドに入団する前にエリック・ドルフィーと共演したイリノイライブは、ハードバップの先に横たわる新しいジャズの姿に光を照らすものだったと思う。

何より、マイルス・デイヴィスの下、ウェイン・ショーター(サックス)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)との黄金カルテットで繰り広げた演奏は、どれもこれも文句のつけようのない傑作ばかり。特に、アルバム「マイ・ファニー・バレンタイン」というライブアルバムでの緊張感張り詰めるピアノソロ、「プラグド・ニッケル」における超前衛的なフリージャズ、「ネフェルティティ」におけるシングルトーンの魔術的なソロなどは、天才のみがなしうる業(わざ)である。

当時、彼がブルーノートに残した「スピーク・ライク・ア・チャイルド」は、画期的というか、ある意味、非ジャズ的で不遜な試みが行われている。3管のホーンセクションとピアノトリオなのだが、普通ホーン奏者は、ピアノトリオの伴奏で、順番に即興演奏を繰り広げていく。ところが、このアルバムでは逆。なんと、ホーンにはまったくアドリブを許さず、ソロを繰り広げるのは、ピアノやベース。ホーンが伴奏に徹している。

それ以降、同じ試みが定着しなかったところを見ると、これはジャズマンの生理に反するものだったにちがいない。あまりに造りこまれていて、ジャズ的なスリリングさが失われているともいえる。しかし、室内楽のような演奏の中に、緊張と弛緩の繰り返しによる、クラシックのピアニスト、グレン・グールドも演奏を聴いているようなスリルを感じることができる。カリスマ性によってバンドサウンドを支配するマイルスを意識しつつ、それをシステムによって実現しようとしたに違いない。

ハービー・ハンコックは、このアルバム以外にも、ブルーノートに「処女航海」という傑作を残している。これは、マイルスが「カインド・オブ・ブルー」で完成させたモード奏法を発展させた新主流派としての面目躍如の作品。「処女航海」から「アイ・オブ・ザ・ハリケーン」「ドルフィン・ダンス」などなど、1曲1曲も、名曲・名演奏なのだが、それよりも、アルバム全体がひとつのストーリーを構成しており、航海をスケッチした「コンセプトアルバム」になっている。

だから、このアルバムにしても、「スピーク・ライク・ア・チャイルド」にしても、アルバム全体を通して聴くと、ハービーの狙いがわかってくる。このことからもわかるように、彼は、ピアノのテクニックもさることながら、頭がよく、アイディアマンである。

この頭の良さが、のちにはビジネスに生かされる。彼は、たぶんお金の面で、マイルスをしのぐほどの稼ぎをたたき出した成功者である。彼は、聴衆のニーズを敏感にリサーチして、そのニーズに応えた作品を発表していく。

フュージョンがはやると、ファンキーなサウンドに乗せて「フューチャー・ショック」などのアルバムを発表し、大ヒット。かと思えば、例の黄金カルテットのマイルスをフレディ・ハバードに代え、あとはロン・カーター、トニー、ウェイン・ショーターのメンツで、V.S.O.Pというバンドを作り、世界ツアー。マイルスが亡くなれば、追悼アルバムでひと儲け。

この書き方でわかるように、(ブルーノート東京のときのトラウマか?)、ハービー・ハンコックの最近の音楽的姿勢には、首をかしげることが多い。でも、レコード、CDというメディアの素晴らしいところは、彼の才気が最も輝いていた頃。マイルスの睨みにおびえながら、一心不乱にイマジネーションを発揮して演奏していた頃。そんな時代にタイムスリップして、あたかも同じ空気をすっているかのような気分を味わうことができる点である。

「スピーク・ライク・ア・チャイルド」でのジャズに挑むかのような傲慢な若々しさが懐かしい。

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セロニアス・モンク「ソロ・オン・ヴォーグ」

セロニアス・モンク/ソロ・オン・ヴォーグ

このジャケットは、ジャズ・ピアニストの最高峰のひとり、セロニアス・モンクのピアノ・ソロ・アルバムである。私は、ビル・エバンスと並んで、このモンクの不思議なピアノを最も愛している。

彼は、マイルス・デイヴィスに影響を及ぼした数少ないジャズ・プレーヤーである。マイルスに最初に絶大な影響を及ぼしたのは、チャーリー・パーカー。ビ・バップという過激な音楽スタイルにマイルスを誘(いざな)い、マイルスをして「これじゃ体が持たない」と、ビ・バップの限界を認識させ、より様式化されたハード・バップに向かわせる。彼の死に直面したマイルスは、麻薬と縁を切る。

それから、デューク・エリントン。彼は、自分のジャズ・オーケストラを率いて、強力なリーダーシップによって真のジャズを創造した。彼の死を知ったマイルスが「ゲット・アップ・ウィズ・イット」に残した"He Loved Him Madly"は、至高の名演。それから、ビル・エヴァンス。ここでも紹介した「カインド・オブ・ブルー」の時期。彼は、マイルスに、ラヴェルやラフマニノフを教えるとともに、静寂・沈黙がもつ意味を伝えたように思える。

そして、このモンク。彼こそが、マイルスの音楽人生の最もコアな部分に影響を及ぼしたのではないかと密かに思っている。マイルスが影響を受けたのは、時間としてはほんの一瞬。時期は、1954年12月24日。この日は、マイルスとモンクの意見が真っ向から対立。ピリピリした雰囲気でレコーディングされた「喧嘩セッション」の日として知られる。

その最も重要な成果が「バグズ・グルーブ」というマイルス名義のアルバムに残されている。このタイトル曲(テイク1と2があるがともに同レベルの名演)におけるモンクのピアノソロは、彼のベストパフォーマンスといっていいくらいの素晴らしい出来。しかし、重要のは、マイルスのソロの部分。マイルスは、モンクに「俺がソロとるときには、調子が狂うのでピアノのバッキングをするな」と要求する。だから、マイルスの流麗なソロのバックには、モンクの音がしない。でも、「あら、不思議」。そこには、モンクの匂いが濃厚に漂っている。

実は、これがモンクからマイルスが学んだ秘密なのではないか。以後、マイルスは、カリスマ性をもって他のメンバーの演奏を支配し、自分が演奏していない時間、あるいは自分がバンドに加わっていない演奏にまで、自分の存在を意識させ、「臨在」する。オーケストラの指揮者は、自分では音を出さないが、オーケストラの演奏を支配する。それと同じように、プレーヤーの個人技で成立していたジャスを、マイルスは、サウンド面で完全に支配しようとした。

だから、マイルスは、モンクと現場で言い合ったのかもしれないが、(口が裂けても言わなかっただろうが)、モンクを生涯リスペクトしていたのではないか。マイルスは、その後、モンクの名曲"Round About Midnight"を大手レーベルに移籍後の初の大切なアルバムのタイトル曲として取り上げ、ライブでも演奏し続ける。

モンクは、チャーリー・パーカーとともにビ・バップの運動をけん引した。ほとんどのジャズ・ピアニストに影響を与えている巨人パド・パウエルにビ・バップのイディオム(語法)を教えたのも、モンクである。しかし、彼は、このようなテクニックを競うようなアリーナからは、しだいに距離を置くようになり、やがて「これがジャズ?」というようなヘタウマ演奏をすることになる。

モンクのピアノは、へたっぴー説がある。たしかに、このアルバムに収録された彼の代表曲"Round About Midnight"を聞いても、引っかかる、引っかかる。まず、メロディ。彼は、考えながら、一音一音選んで引く。だから、次の音が出てくるのに時間がかかり、音の流れが止まる。その試行錯誤のプロセスは、アルバム「セロニアス・ヒムセルフ」のボーナストラックで聴くことができる。

次に、和音。必ず1音ほど「なんでこの音が混じる?」という音が入って、戸惑う。リズムも止まる。気まぐれに、テンポが速くなったり遅くなったり、拍子が変わったり。絶対モンク相手に指揮棒を振ることはできない。しかし、これは、いわゆる決まり文句でジャズのアドリブを続けマンネリ化するのを防ごうという確固たる意志の表れであり、けっして下手なわけではない。

こういうスタイルなので、モンクを聴くにはソロに限ると言われており、私も半分同意するが、トリオの演奏やカルテット・クインテットの演奏にも「ブリリアント・コーナーズ」「ミソテリオーソ」などすごいアルバムがたくさんある。「ブリリアント・コーナーズ」では、あのソニー・ロリンズが参加しているが、完全にモンクの色に染まっている。全プレーヤーがモンク化して、モンクの世界を表現している。

モンクは、よき師でもあった。麻薬でヘロヘロになりマイルスのバンドを首になったジョン・コルトレーンの面倒を見たのもモンクだった。二人の演奏が正規にスタジオ録音されていないのが残念だが、壮絶なライブ演奏がコルトレーン夫人によるカセットテープ録音で残っている。ひどいテープヒスの向こうから、ふたりの魂の交流が聞こえてくる。モンクのもとで立ち直ったコルトレーンがマイルスのバンドに舞い戻り大活躍、そのあと、ジャズ道をばく進していくのは周知のとおり。

モンクは、ジャズ界屈指のジャズ・スタンダード作曲家として、歴史に名を刻んでいる。"Round About Midnight", "Well You Needn't", "Straight No Chaser", "Off Miner"などなど。どれも不思議なメロディ。モンク以外には絶対に作り出せないメロディである。特に、"Round About Midnight"のメロディには歌詞が付けられてスタンダード化している。

この曲をハミングしてみればわかるが、すごく無理な音の跳躍があるにもかかわらず、自然で素敵なメロディになっている。この曲ほど、「深夜」の雰囲気、冷たい空気、闇と静寂を見事に表現したメロディを私は知らない。それを最も味わうことができるのは、ギル・エヴァンスが編曲してマイルスが演奏したヴァージョンである。そこには、モンクは参加していないが、モンクの気配が濃厚に漂っている。

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