先生が語る大人の音楽

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マリア・カラス「ベスト・オブ・マリア・カラス」

マリア・カラス/ベスト・オブ・マリア・カラス
このジャケットは、史上最高のプリ・マドンナ、マリア・カラスのベスト盤である。彼女以前に、彼女のようなオペラ歌手は存在しなかったし、今後絶対に彼女のようなオペラ歌手は出現しないと断言してしてしまおう。

マリア・カラスは、ギリシャ移民の子供で、それほど音楽的に恵まれた環境に育ったわけではない。彼女は、実は努力の人である。

オペラの主役を歌う女性には、大きく分けて、ソプラノ歌手とメゾソプラノ歌手がいる。もちろん、オペラの主役の多くは、ソプラノ歌手が担っている。マリア・カラスは、そもそもメゾソプラノの音域しか持っていなかった。それを、無理やり、努力によってソプラノの音域まで広げていった。彼女の全盛期は、ほんの10年ほどで、やがてソプラノの声を失ってしまう。それも仕方のないことだった。

彼女がオペラ界に残した最高の功績は、プリマドンナの概念を根本から変えた点である。それまでのオペラ歌手は、ビア樽のような体型をしていて、舞台の中央に立って、甲高い声で観客を魅了していた。「美人だ」という設定なのに、リアリティは二の次である。ところが、マリア・カラスは、本当に美しかったのである! 今のオペラ・ハウスの主役をはる人で、デブは皆無である。これは彼女のおかげである。

彼女本人ももともと太っていた。それを、身の毛もよだつ方法で、無理やりダイエットして、その体型を獲得したのである。どのようにダイエットしたのかは、ここでは書かないので、関心がある人は、ネットで調べてほしい。

マリア・カラスの当たり役には、いろいろあるが、私が一番好きなのは、椿姫のヴィオレッタである。このヴェルディの傑作オペラ。初演のときから、大ブーイングを受けていた。主人公は、高級娼婦で、肺病を患っている。強い意志と気品と、それから病から来る弱さを同時に表現しなければならない。おまけに、歌はめちゃくちゃ高度なテクニックを要求される。なのに、初演の女優は、デブで、リアリティがなかった。

まさに、マリア・カラスのためにあるような役である。ところが、この作品にかぎって、正規のスタジオ録音が残っていない。ほとんどの作品を担当している大指揮者セラフィンとマリア・カラスが音楽的な理由で喧嘩をして、録音されなかったという。ということで、オペラファンは、音の悪い実況録音盤で、我慢している。

私が最初に聞いた彼女の声は、「トスカ」だった。その前に、ガイド本などで、どんなに凄い歌手か、十分知らされていた。それでも、最初に彼女の声を聞いたときの衝撃は忘れられない。実は、このトスカについては、第2幕だけでが、チャリティコンサートで演じた映像が残されている。これは人類の宝である。もちろん白黒だが、動いている彼女を鑑賞することができる。彼女が歌っているだけではなく「演技」をしているのが、よく分かる。

政治運動をしている恋人が警察長官に逮捕される。警察長官は、人気歌手であるトスカに、自分の愛人になれば、恋人の命を助けると持ちかける。そのねちねちした脅しに翻弄されいくトスカ。そして、恋人が拷問される声を聞くに至って、承諾してまう。しかし、しかし、やはり恋人を裏切ることはできず、隙をみて、警察長官をナイフで刺して、殺害する。(映像にはないが、第3幕には悲劇的などんでん返しが待っている)

ほかにも「ノルマ」「カルメン」など、お気に入りの作品はたくさんある。しかし、まあ、オペラだから、本来は視覚的に楽しむものだし、いろいろな出演者が出てくるので、マリア・カラスだけを楽しむわけにはいかない。その点、このアルバムは、彼女の代表的な名唱が集められている。

オペラとしては演じていない作品もたくさんあるが、とくに、「ノルマ」の「清らかな女神よ」と、「サムソンとデリラ」の「あなたの声に心は開く」は、息を引き取る時に聞いていたい歌声。

マリア・カラスは、感情が激しく、恋多き女で、スキャンダラスな人生を送った。特に、ギリシャの船舶王のオナシスとの浮名は有名だったが、結局結ばれなかった。オナシスは、ケネディの元妻、ジャクリーンと結婚して、彼女の元を去る。

晩年の彼女は孤独で、パリのアパートで一人静かに息を引き取る。まだ54歳だった。椿姫のヴィオレッタは、最後には恋人の胸の中で息絶えるが、それよりも孤独な人生だったかもしれない。

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レーナード・バーンスタイン「マーラー交響曲全集」

レーナード・バーンスタイン/マーラー全集
久しぶりにクラシックの話を。これは、アメリカ生まれ、アメリカ育ちのレーナード・バーンスタインの残した世界文化遺産ともいえる「マーラー全集」である。右がマーラー、左のいい男がバーンスタインである。

ひとりだけ好きな指揮者を挙げろと言われたら、バーンスタインを選ぶかもしれない。彼は、晩年、ドイツの名門レーベル、グラモフォンと契約し、ウィーンを拠点に、すっかり大物指揮者としての風格を身につけていた。

しかし、晩年の彼がウィーンフィルと残したベートーベンなどを聴いてもピンと来ない。私が好きなのは、アメリカのニューヨークフィルの主任指揮者として、コロンビア(今はソニー)に大量の録音をしていた時期である。

彼は、おそらく史上最高のマーラー指揮者として、記憶されるだろう。マーラーの交響曲がほんの一部しか取り上げられない時代にあって、全集を完成させたのも彼だし、その曲としての魅力を卓越した構成力で世に知らしめたのも彼の功績である。そのほかには、アイヴスやシューマンの演奏も好きである。

バーンスタインのマーラー演奏に惹かれるのは、彼の存在そのもの、人生そのものがマーラーの交響曲と共鳴し合っているからだと思われる。バーンスタインを理解するキーワードは、ただひとつ「分裂」である。

作曲家と指揮者。彼は、史上最強のミュージカル作曲家になりえた。彼が若かりし頃作曲したのが、あの有名なミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」。ひとつひとつの曲の質の高さ。全体を貫くモチーフ。「キャッツ」や「オペラ座の怪人」を作曲したアンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカルをしのぐと思う。彼は、超カッコいいスター指揮者として仕事をこなすら、交響曲を中心にコツコツと作曲を続けた。ところが、これがため息が出るくらいの駄作。交響曲というフォーマットに自分の曲想を無理やり押し込んでいる印象で息苦しい。

アメリカとヨーロッパ。彼は、おそらく死ぬまで、ヨーロッパ文化に対するコンプレックスを持ち続けたに違いない。アメリカのオケは、技術的にはヨーロッパのオケよりも上をいくところが多いが、無味無臭で無個性に聞こえてしまう。そういうオケを使って、個性的で尖がった演奏をして、名をなしたわけだが、晩年はウィーンフィル伝統のまろやかな薫り高い音に魅せられて、海千山千のヨーロッパ人に籠絡される。晩年の演奏は、マーラーなど一部を除いて、今の耳に聞くと、どこか「かったるい」演奏になってしまっている。

教育者と発展家。彼は、クラシックの啓蒙に熱心で、テレビ番組まで持っていた。語りが上手で、文章も論理的。アメリカの一般大衆にクラシックの魅力を伝えるために、努力を惜しまなかった。小沢征爾など、弟子もたくさん育てた。一方で、アメリカ人が抱える様々な社会的病理を体現する存在でもあった。性の問題(奥さん子供がいたが、男色の噂が絶えなかった)、ドラッグの問題などなど、危うい噂に囲まれていた。

ユダヤ人とリベラル。彼は、アメリカのリベラルな知識人として、社会問題に積極的に発言していた。ビートルズの音楽性についても、いち早く認めていた。人間性というものに絶大な信頼を置いており、ベルリンの壁が崩壊したときには、東西混成のオケで、ベートーベンの第9をヒューマンに演奏したりした。その彼が、ことイスラエル問題になると、一転タカ派になり、同じ人間の発言とは思えないほど、保守的で、自分勝手は発言を行ってしまう。その血がそうさせたのだろうか。

このような様々な分裂が、バーンスタインという大きな人間の人格の中で統合されている。それは、あたかも、マーラーの交響曲が、一見両立不能なメロディの断片を飲み込んで、ひとつの曲としての一体感をかろうじて保っている姿に似ている。

もちろん、卓越した読譜力、音を聞き分ける力、リズム感、情報処理能力、惚れ惚れする指揮姿、カリスマ性。指揮者としての資質を最高度に備えていたから、スター指揮者なのだが、カラヤンのように完璧な隙のない人間を演出するのではなく、そういう分裂した人間であることを不用意にさらけ出してしまうところ。それがバーンスタインの魅力だと思う。

バーンスタインは、カラヤンが主任指揮者を務めていた当時のベルリンフィルを一回だけ指揮したことがある。曲目は、マーラーの交響曲第9番。クールでゴージャスな音を出すベルリンフィルが、バーンスタインに煽られ、ドライブし、恐竜の叫び声のような音を出す怪演。このディスクを聴いたカラヤンは、それ以後、けっしてバーンスタインがベルリンフィルの指揮台に立つことを認めなかったという。

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レイフ・セーゲルスタム指揮「マーラー交響曲第2番復活」

セーゲルスタム/マーラー交響曲第2番

このジャケットに写っているサンタクロースみたいな人物。名前をレイフ・セーゲルスタムという。フィンランドの作曲家で指揮者である。

このジャケットは、これから話していくマーラーの交響曲第2番のものではない。アマゾンで検索したが、どうも廃盤になっているようで、入手困難。中古で1万円近くもする。このアルバムの本来のジャケットは風景画で、たいしたことがないので、ジャケットに顔が写っているものを適当に探してきた。

私にとってフィンランドといえば、森と湖の国。大作曲家シベリウスを生んだ国。そして、ムーミンの国。私の夢は、いつかフィンランドのナーンタリにあるムーミン谷というテーマパークを訪れることである。7-8年ほど前の5月に一度学会でフィンランドのヘルシンキを訪れたことがあるが、まだ湖は凍っていて、めちゃくちゃ寒く、ムーミン谷は冬眠中であった。

セーゲルスタムの本業は、作曲家である。長大な交響曲をなんと20曲以上も作曲しているそうな。1曲も聴いたことがないが。彼が指揮者として録音したCDの数も膨大。CHANDOSやNAXOSに、シベリウスをはじめとする北欧の作曲家を中心に、エネルギッシュに録音している。

残念ながら、セーゲルスタムを一流の指揮者だと評価するクラシックファンは、ほとんどいないであろう。歴史に名を残すような演奏は、正直皆無。かく言う私も、セーゲルスタムのCDで聴くのは、デンマークの国立放送交響楽団を指揮した、このマーラーの2番だけである。

CDというメディアが出現して長時間録音が可能になり、猫も杓子もマーラーの交響曲を録音するようになるまで、彼の交響曲は、ワルターやクレンペラーといった彼の弟子たち、伝道者としての使命感に燃えていたバーンスタインを除いて、ほとんど演奏されることはなかった。その中で、クラシックのコンサートで細々と取り上げられていたのが、2番(復活)である。

そのくらいの名曲である。実は、この曲。そこそこの力量をもったオーケストラが演奏すれば、少々指揮者がダメでも、感動できるタイプの曲である。ベートーベンの第9、ブラームスの1番と同じように、最後に異様な盛り上がりをみせ、何がなんだかわからないうちに、感動の渦の中に巻き込まれていく。そういう仕掛けがある。

なので、マーラーの2番には、名盤と呼ばれるディスクがたくさん存在している。バーンスタインの新旧録音、シェルヘンのものなどが私のお気に入りであるが、ガイドブックで紹介されているものを購入して聴けば、最後には感動が用意されている。1時間半以上の時間がかかって、かなり疲れるが。

しかし、このセーゲルスタムの演奏は、特別、というか「特異」である。一言でいえば、演奏がノロい。演奏時間も他の演奏家よりも時間をかけているが、体感速度はさらに遅く感じられる。ゆっくりした演奏で有名な人に、いずれここでも取り上げるチェリビダッケというカリスマ指揮者がおり、ブログなどでは、セーゲルスタムの演奏がチェリビダッケのブルックナーを思い起こさせると解説されている(チェリビダッケはマーラーを演奏しなかった)。

だが、チェリビダッケの遅さとセーゲルスラムの遅さは、本質的に違うと思う。チェリビダッケは、楽譜に書かれた音符のすべてを有機的に表現しようと考え、ものすごい情報量を聴衆に伝えたいと思った。その情報量を聴衆が処理するのに、ある程度のスピードの遅さが求められた。つまり、スピードが速すぎると、自分が伝えようとしたことが伝わらない。考える時間を与えるための遅さだったのではないか。

セーゲルスタムの遅さは、なんなのかというと、そのスピードがもっとも人間が美しいと感じる響きが残るものだという判断に基づいている気がする。マーラーの曲では、複数の旋律が同時に、あるいは入れ替わり立ち替わり現われては消える。そのひとつひとつの旋律の美を、余韻を残して楽しんでほしい。そういった美意識の現われが、このような演奏を生んでいる。

だから、この演奏は、ひたすら美しい。しかも、だんだーん遅くなっていく印象を与える。CMで、イチローのバットスイングのスローモーションをみて、その美しさに唖然としたことがあるが、それと似ている。じわーっとした美しさが繰り返され、最後のフィナーレに導かれていく。最終楽章は、雲間から一条の光が差し込み、だんだんと光の帯の幅が広がり、最後は光に満ちたされる。そのプロセスが刻々と表現される。

彼は、マーラーの全集を録音しているが、すべての交響曲で、この方法論が成功しているわけではない。ほとんども場合、マーラーの魅力の一つである「暗さ」「深刻さ」が犠牲にされている。それでも、この1枚は、私の100枚以上はあると思われるマーラーのCDの中で、特別な位置に備え付けられている。

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ヘルベルト・ケーゲル「マーラー交響曲第1番巨人」

ケーゲル/マーラー交響曲第1番

今回から、クラシックと取り上げるときはピアニストを離れて、指揮者を扱う。まずは、カルト的な人気を誇る指揮者、ヘルベルト・ケーゲルである。

指揮者は、大きくマーラー指揮者とブルックナー指揮者に分けられると思う。たとえば、バーンスタインはマーラーを愛し、その魅力を世の中に伝えるのに十分なすばらしいマーラー全集を2つも残している。カラヤンは、晩年ウィーンフィルを相手にブルックナーばかりを演奏し、最後の録音もブルックナーの7番だったと思う。

このふたりの作曲家のオーケストラ音楽の構築方法は両立しないと思われる。ブルックナーは、瞬間の音も、全体の流れも、「重ねていく」という意識がないとダメで、全体への志向が強くないと、ただ音響が鳴っているだけのツマラナイ音楽になってしまう。マーラーでは、いくつもの異なった音やメロディーの断片がいれかわり立ち替わり現われては消えていく。もちろん、交響曲なので全体への見通しは必要だが、それよりも、瞬間瞬間の刹那的なサウンドを処理して音楽的に聴かせる能力が求められる。

これから、しばらく間、マーラー作品を紹介しつつ、その曲で私が一番好きな演奏を残している指揮者を取り上げる。今回は、第1番。マーラーは、死を異常に怖れていた。ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ドボルザークなどが交響曲9番を書いたところで亡くなったのを意識して、8番を書いた後、「大地の歌」というタイトルの交響曲と歌曲を合わせたような番号無しの作品を発表する。これで安心して、そのあと9番を発表(個人的には最高傑作だと思う)したが、やっぱり10番を作曲中に亡くなる。ヴィスコンティの「ベニスに死す」はマーラーの死を題材にした美しい映画。

ウィーンの人気指揮者として一世を風靡していた彼は、日曜作曲家で、そろそろ「ゲンダイオンガク」の時代に入っていたにもかかわらず、調性にこだわり、しかも演奏に1時間以上かかるような長大な作品を生み続けた。生前「いつか自分の時代が来る」と言っていたそうだが、バーンスタインが取り上げ、やがて長時間再生が可能なCDというメディアが現われ、本当に彼の時代がきた。

その彼の交響曲デビューがこの曲。「巨人」というのは、ジャイアントではなくタイタンのこと。
まだ、青春の名残りが感じられる青臭い作品だが、マーラーの曲の中では、4番とならんで比較的コンパクトにわかりやすくまとまっており、以前からよく演奏されてきた。

私にとって、この曲の肝は、次の3か所。冒頭のカッコウを真似た導入部で、朝の霧がかかった森の雰囲気が出せるか。世紀末ウィーンの退廃的な香りとマーラーが子供時代に過ごしたボヘミアの民謡が交錯する第3楽章。それから最終楽章冒頭の嵐のような混乱とそれが終息して迎える救済のエンディングへの流れ、そこに感動が訪れるのか。

第1番の演奏には、たとえば、ワルター盤、バーンスタイン番など名盤が目白押しで、個人的にはアンチェルという人がチェコフィルを振った盤も大好きだが、私が最もよく聴くのが、このヘルベルト・ケーゲルのCDである。彼は、一部クラシックマニアの間でカルト的な人気を誇っている。

実は、彼の代表作は、他にある。絶対に外せないのが、ビゼーの「アルルの女」組曲とヴィヴァルディの「協奏曲集」。それから、かつて駅で売っていた安売りCDに1曲だけ収録されている「アルビノーニのアダージョ」。聴いた人はすべて「なぜ自分は生きているんだろう?」と問いかけ、死を考えるという暗いクラーイ演奏。落ち込んでいるときに聴いたら危険な音楽。

そんな噂を聴いてずっと探していたが、ようやく手に入れて聴いたら、ほんとにその通り。重い鉄の鎖を引きずるようなテンポで、しかも澄み切った音色の弦楽器と荘厳なオルガンが音を交錯させる。デスメタルよりも、はるかにヤバい音楽。カラヤンがベルリンフィルを振ってこの曲を演奏すると、ゴージャスなムード音楽になるのに。

それ以外にも、マーラーの4番、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ベルクの救いのないオペラ「ヴォツェック」、ドイツ語版で不思議なビゼーの「カルメン」などもお勧め。

さて、ケーゲルのマーラーの第1番だが、なによりも第3楽章。ワルツの部分があるのだが、音が引っかかって全然踊れない。ワザと不自然な流れを作っている。第4楽章。驚異のアインザッツ(弦楽器などのタイミングがそろっていること)で奏でられる14分前後の演奏は、ブルックナーのアダージョのように、魂が浄化されていく過程を体験できる。

彼は、東ドイツのライプツィヒ放送響やドレスデンフィルの首席指揮者に君臨し、膨大なレコーディングを残したが、1990年、ベルリンの壁の崩壊のあと、ピストル自殺をした。70歳だった。自由化後の仕事に不安を持ち、鬱状態だったともいう。

オーケストラをひとつの楽器のように完全にコントロールする能力はカラヤンに匹敵すると思うし、そこで表現される音楽は、カラヤンよりもずっと深淵で、ときに危ないものだった。現在の海外ビジネスマンのようなスマートで薄っぺらな指揮者が多い中で、生きていてくれれば貴重な存在になったはずである。

慰めにはならない。死と向き合う音楽。

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イーヴォ・ポゴレリチ「展覧会の絵」

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ジャケットは、ユーゴスラビア出身の天才ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチである。写真をよく見ると少し雰囲気が伝わると思うが(おいおい、ジャケットに写るのにTシャツかよ)、ここで取り上げている他のピアニスト同様、彼も筋金入りの「変人」である。

彼が有名になったのは、1980年のショパンコンクール。予選からとても個性的な演奏を繰り広げ、観衆からは盛大な拍手を受けるが、審査員たちの受けは悪く3次選考で見事落選。その結果に怒り狂った審査員のひとりマルタ・アルゲリッチは、「彼は天才よ!」という言葉を残して席を立ったという。

プロピアニストの登竜門として名高いショパンコンクールで落選したものの、このエピソードをきっかけにして、レコードレーベルのナンバーワンといっていい「グラモフォン」と契約。変な演奏を発信し続けることになる。

ポゴレリチの演奏のどこが個性的か? 彼は、ご多聞にもれず天才少年。小さい頃から、本国ユーゴスラビアで期待されていたピアニストだったが、13歳の頃、グレン・グールドのバッハ「イギリス組曲」を聴き、いたく感動というか天啓を受ける。多くのピアノ教授は、学生にグールドを聴くことを禁止しているそうだ。たしかに、グールドの魅力を知ると、常識的な審判員が納得する(つまらない)表現をすることでは飽き足らなくなってしまう。グールドの影響を受けたピアニストがコンクールに勝つことはできないだろう。

ポゴレリチの演奏の一番の特徴は、弱音の指定を無視して、時に強い打鍵で大きな音を出すことである。これは、作曲家を信頼していないことを意味する。グールドは、バッハが細かい指定をしておらず、演奏様式に関して、ヨーロッパで培われてきた方法や考え方に疑問を呈した。演奏家とその伝統を否定したわけだが、ある意味作曲家には忠実だったともいえる。ポゴレリチは作曲家も時には否定してしまうのである。

これが、聴いている側からすれば、本当にスリリングで刺激的な演奏となる。たとえば、このムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」。オーソドックスなアシュケナージなどの演奏を聴いてきた耳には、「あれ?」「おおっ!」「うっそー」という表現が連発する。そして、聴いた後ぐったりする。それを楽しいと思えるか、イライラするかは人によると思うが、彼なりに曲全体の組み立てを考えており、リスナーに「これまで行ったことのない世界を見せてやろう」という意識が見え見えなのである。

その世界が素晴らしい。この「展覧会の絵」は、描写されている絵が精神的に不安定だという解釈で演奏されることはあるが、ポゴレリチの演奏は、絵を見ている人間の精神が、絵を1枚、また1枚と見ていくうちに追い込まれ、病んでいくプロセスを描く。最後の壮大な「キエフの大門」は、精神の解放をもたらすものではなく、深い深い谷底に落ち込んでいくといった感じである。

このアルバム以外には、ラヴェルの「夜のガスパール」、スクリャービンやリストのソナタも、そういう暗黒の世界が覗けて怖い。スカルラッティや、モーツァルト、ハイドンのソナタ集もよく聴く。これらも相当好き勝手に演奏しているが、弾むようなリズムと斬新な解釈で、雲の谷間から射す鋭い光を表現している印象。そして、得意のショパンでは「スケルツォ集」が絶品。このアルバムは、お固い『レコード芸術』誌でも評価が高く、たしか器楽部門でその年のナンバーワンレコードに推薦されていたと記憶している。見事に4つの世界を描き分ける。

逆に、バッハの「イギリス組曲」は、グールドの足元にも及ばない。彼は、ここでもバッハの演奏様式に挑戦している。通常、バッハの、特に器楽曲の魅力は、ポリフォニー、つまり2つ以上の旋律の流れと交錯にあるのだが、彼はモノフォニー、つまり単線旋律の曲のような処理をしようとする。勝手に好きな方のメロディを強調して演奏するのである。

グールドは、バッハの本質をよく理解して、それをピアノという楽器を用いて際立たせるために、あのようなポキポキとした演奏をした。けっしてバッハの魅力を削ぐようなことはなかったのだが、ポゴレリチは、陳腐なムード音楽にしてしまっている。たぶん、誰かから受けた批判が身に染みたのだろう。若い頃録音して以来、バッハの録音は控えているのだろう。

ポゴレリチは、11歳で単身モスクワに留学、16歳で名門チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に進学、旧東側の最高峰でエリート教育を受ける。ところが、ここで反骨精神を発揮、教師の指導をまったく無視して、伝統に反抗した演奏を続ける(「のだめ」か?)。服装もぶっ飛んでいて、何度も退学の危機を経験したという。

そんなとき、アリス・ゲジェラッゼというピアノ教授・音楽学者に出会う。個人レッスンを受けていたが、何を思ったか、19歳のとき、14歳年上で人妻だった彼女に求婚する。結局、ふたりは、結婚。ポゴレリチ22歳。彼女こそが、彼にとって幸運の女神。常にポゴレリチに対して「大丈夫よ、間違っていないわ」と勇気を与え、変テコな演奏を支え続け、どうみても世渡りのうまいとは思えないポゴレリチの傍らで世間との折り合いも付けてきたのだろうと、勝手に想像する。

ところが、彼が38歳のとき、最愛の妻アリスをガンで失う。それは、彼にとって受け入れ難いショックだっただろう。以後演奏活動を控えるようになる。たびたび日本にも訪れて、悪魔的演奏をしているとも聞くが、少なくともCDでは、以前のような演奏は聴かれない。彼は、ベートーベンを尊敬しているという。いつかベートーベンのピアノソナタで、彼が創造する「別の世界」を覗いてみたいと思う。それがどんな世界であっても。

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