先生が語る大人の音楽

先生が音楽について語ります。

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ライトニン・ホプキンス「モジョ・ハンド」

ライトニン・ホプキンス/モジョ・ハンド

このチープで、印象的なジャケットは、ライトニン・ホプキンスというテキサスのブルースマンのアルバム「モジョ・ハンド」のもの。おそらく、この「グー」のげんこつジャケットは、数あるブルースのアルバムの中で、一番有名かもしれない。(私は、このジャケットデザイン、あんまり好きではないが)

さて、このアルバムの魅力は、なんだろう。以前取り上げたマディ・ウォータースのベストなどは、聴くのに相当勇気、というか覚悟がいる。しかし、この「モジョ・ハンド」は、「なんかブルース聴きたいな」気分のときに、ちょこっと聴いてしまう。そんなハードルの低さがある。

ブルースを聴いたことがある音楽ファンならば、このアルバムに、かなり早い段階で出会うであろう。どのブルース解説本にも紹介されている名盤である。しかし、不思議なことに、名盤オーラがないのである。

このアルバムの魅力は、サウンド。生ギター(アコースティックギターを略してアコギというのは、なんか好きではない)と、パーカッションが生み出すシンプルなサウンドである。このギターの音が、湿っぽくない。ジョン・リー・フッカーのように、ドロドロもしていない。乾いていて、弦の一音一音が聞こえる感じ。われわれがアコースティック・ギターに渇望する最高の音がパッケージされている。

ライトニン・ホプキンスという名前のライトニンというのは、「稲妻」のこと。たしかに、彼がエレキギターを手にすると、稲妻のように尖ったサウンドを奏でる。しかし、このアルバムでは、尖った感じは見られない。関西に憂歌団というブルースバンドがいるが、彼らのサウンドは、明らかにライトニンの、というより、この「モジョ・ハンド」の音の再現を狙っている。

多くのブルースに欠けていて、このアルバムにあるもの。それは、ドライブ感。スイング感である。ギター一本で作られる南部の乾いた空気感の上に、少しぶっきらぼうなヴォーカルが乗る。その絶妙な組み合わせは、他のアーティスト、いやライトニンの他のアルバムでも、聴けないマジックである。

ライトニン・ホプキンスは、今風にいえば「チョイワル親父」。サニー・ボーイにかぎらず、そういった風情で人生を駆け抜けたブルースマンは数多いが、そのブルースマンのイメージを作った張本人かもしれない。

彼のギター演奏は、南部ブルースの巨人ブラインド・レモン・ジェファーソン直伝のもの(と本人は言っている)。少なくとも、そういう文化、伝統、土壌がまぜこぜになって、彼のブルースは生まれてきた。こういう音楽を聴くと、日本で生まれ育った人間がブルースやロック、クラシックをやる意味はどこにあるのだろう、と考えてしまう。

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R・L・バーンサイド「ア・アス・ポケット・オブ・ウィスキー」

R・L・バーンサイド/ア・アス・ポケット・オブ・ウィスキー

ブルースには珍しいジャケット。いかにも肉体労働で鍛えましたといったオヤジが、なぜかベルトをはずして、きれいな(?)ネーさんに背を向け、きばって立っている。しかもイラスト。R・L・バーンサイドという無名だったブルースマン、70歳のときのアルバム。

このアルバム。1996年2月6日の午後録音と書いてある。、1996年時点のブルースの現在、というか、ブルースの未来までもがパッケージされている。午後とわざわざ書いているからには、ほとんど一発録音に近かったに違いない。

共演者が興味深い。ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの面々。私の手元にこのアルバムがあるのも、彼らが参加しているからに他ならない。ジョン・スペンサーとジュダ・バウアーがギター、ラッセル・シムズのドラムスのベースレストリオである。

ブルース大爆発(エクスプロージョン)というネーミングに騙されて、彼らのアルバムを買うと痛い目にあう。ポストパンク世代の彼らは、2つの音楽の要素をミックスさせている。ひとつは、当然のようにパンク。もうひとつが、「インダストリアル」といわれるサウンド。ドイツのアインシュルツェンデ・ノイバルテンというバンドの影響をもろに受けている。

パンクとインダストリアルという尖ったサウンドのぶつかり合いから「ブルース」が匂い立つというのが、ジョン・スペンサーたちのバンドコンセプト。その彼らが全く無名といっていいバーンサイドというブルースマンと作ったアルバムなのである。

バーンサイドは、絵にかいたような苦労人。若い頃、一家で南部からシカゴに出てきたが、数日で父親・兄弟が強盗に遭い殺される。彼は、都会と田舎を行ったり来たりしながら、農業労働者やトラック運転手などを続けて、家族を食わせる。殺人の罪で刑務所暮らしも経験したこともあるという。なぜか6か月しか収監されなかったそうだが。

ブルースマンとしては、若干の録音歴はあるものの、仕事のあとに田舎のバーで演奏するのが常のセミプロといった方がいいのかもしれない。ところが、彼の演奏を聴いたジョン・スペンサーがぞっこん惚れて、彼に連絡をとりレコーディングしたのが、この作品である。

1曲目"Goin' Down South"から、コケる。いきなり、「クゥワァー!クゥワァー!」とカラスの鳴き真似。しかし、そのあと、カッコよくもノイジーなリフが聞こえてきて、ドスの効いたバーンサイドのボーカル。これまで、エリック・クラプトンのクリームやジミ・ヘンドリクスのヘビーなブルースロックを聴いてきたが、それよりもずっとずっとヘビー。

2曲目。"Boogie Chillen"。バーンサイドのアイドル、ジョン・リー・フッカーの大ヒット曲である。ブギーのリズムを繰り返して、魔術的に盛り上げていく。ボーカルとバックバンドの掛け合いが決まっている。8曲目には、ロバート・ジョンソンの名曲、最後にはポピュラーの名曲"Have You Ever Been Lonely?"を配置。

ジョン・スペンサーたちも、相手に合わせてブルース色が強い演奏をしているが、バーンサイドは「そんなの関係ない」の気合いとパワーで圧倒する。犬は、瞬時に周りの人間や動物の間の序列を察知し、自分をその中に位置付けるというが、このアルバムでは、バーンサイドの「クゥワァ」で、誰が親分かが決まってしまった感がある。

重要なのは、そこで生まれた化学反応。バーンサイドのはったり。ジョン・スペンサーたちのリスペクト。両者の音楽的な嗜好。そこで生みだされたサウンドは、なぜか涙が出るほど美しい。ノイジーなのに美しい。

ブルースもジャズと同様、「型」ができてしまっている。こう演奏すればブルースらしいという型がある。聴衆もそのような演奏を期待している。しかし、ディランがフォークの聴衆の前でエレキギターを演奏したように、聴衆の保守的な期待を裏切る勇気がないと、そのジャンルでの革新は生まれない。だんだんとラディカルさは失われ、過去の遺物になっていく。

このアルバムのテンションの高さ。今まで存在しなかったブルースをディスクに刻もうという志の高さに惹かれてしまう。ブルースが息づいているという実感。

まあ、このオヤジも、サニーボーイと同じように食わせ者だったと思うけれど。

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エルモア・ジェームズ「スカイ・イズ・クライング」

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今日は、エルモア・ジェームズというブルースマンを取り上げる。このアルバムは、Rhinoという初心者も通も納得の選曲で有名なレーベルから出ているベストアルバムである。

エルモア・ジェームズは、若い頃、ここでも取りあげた幻のブルースマン、ロバート・ジョンソンと出会い、彼の後について演奏を続けていた(サニー・ボーイとは違って本当の話)。このアルバムの1曲目、"Dust My Broom"は、彼の代表曲で、ここで聞こえてくるハーブは、サニー・ボーイのもの。

この曲。ロバート・ジョンソンにも同じ曲があるが、どちらが真の作曲者かは不明。ロバートの曲をエルモアが引き継いだという説が有力だが、真偽のほどはわからない。言えることは、ロバートのそばにいながら、ほとんど彼の影響を受けておらず、別のサウンドを作っていることである。

彼のブルースを特徴づけているのは、ボトルネックギター。つまりは、スライド・ギター。フレットを押さえるのではなく、スライドバーを弦の上でスライドさせて音を出す。それが瓶のクビの部分だったので、ボトルネック奏法という。現在われわれが聴いているブルースのひとつのルーツであるデルタブルースでは、サン・ハウスなど、この奏法の名手が多い。

エルモアのボトルネック奏法は、聴いてもらえばわかるが、音がキュンキュンと飛んでいく感じ。それと普通に指で押さえる奏法を組み合わせて、カッコいいサウンドを作っている。私が愛するオールマン・ブラザース・バンドのデュアン・オールマン(かの「いとしのレイラ」で必殺のスライドを披露しクラプトンを圧倒している)は、薬瓶を使ってスライドギターを弾いているが、絶対にエルモアの影響を受けている。

彼のもう一つの発明は、"Dust My Broom"で使用されて以降、彼自身様々な曲で繰り返し使っている三連符のリズムパターン。これがカッコよく、ロック畑の人たちがリフを作る時に、ちょっと拝借することが多い。

ただ、私がエルモア・ジェームズのブルースを聴くのは、彼の「殺気」に触れたいからである。ブルースマンに限らず、クラシックの世界にもロックの世界にも、相当ヤバいミュージシャンはいる。しかし、麻薬をやっていてラリラリで狂っているというのでも、ニルヴァーナのカート・コベインやニック・ドレイクのように、神経が繊細すぎて痛々しいというでもない。

エルモアの声=シャウトを聴くと味わえるのは発狂寸前の人間の怖さ。眼の前に目の据わったガッチリした体格の黒人。「これまで何人も人を殺してきました」という面持ちで、なぜかこっちをにらんで立っている。その彼が、いきなり両手を天井に向けて雄たけびを上げたかと思うと、襲いかかってくるという感じ。(全然怖くないか…)

このアルバムに収録されている"Sky is Crying", "I Need You","Something Inside Me"。どれも声がナイフのように尖っている。人間の声のような気がしない。鋭い剃刀のような声。

このボーカルスタイルは、ブルースマン以外にも、アニマルズのエリック・バートンや、ゼムで歌っていた頃のヴァン・モリソン、アメリカにわたってナヨナヨする前のロッド・スチュアートに、計り知れない影響を及ぼしている。しかし、オリジナルのエルモアを聴いてしまうと、彼らのボーカルは、みなライオンのまねを人間がしているようにしか聞こえない。

彼のボーカルには優しさのカケラもなく、曲も"Shake Your Moneymaker"である(何の事だか深く考えてはいけない)。でも、B・B・キングとは別の世界。息もできないような緊張の世界に時々浸りたくなるときがある。

夜の新幹線。ほとんど灯りの見えない景色を車窓から眺めながら、エルモア・ジェームズの叫びが闇に吸い込まれていくのを聴くのもオツなものである。

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サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ「ダウン・アンド・アウト・ブルース」

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どう? いいジャケットでしょう。なんかダルっとしていて。日がな一日、何もすることがなく、ドア先に寝っ転がっている薄汚い男。でも、全然哀れっぽい感じがしない。

これは、サニー・ボーイ・ウィリアムソンというバーブを得意とするブルースマンの「ダウン・アンド・アウト・ブルース」というアルバムで、私は長年、ジャケットに写っているのが本人だと疑わなかった。実は、本人は、結構ダンディで、ストライプのスーツにダービーハットというスタイルでステージに立っていたという。

上品に書けば、彼の人生は、ミステリアスな謎に包まれていたということになるが、早い話が嘘つきで食わせ者だった。まず、生年がわからない。1899年説、1897年説、1907年説まである。本名も不明。一応、ライス・ミラーということになっているが、本名をきかれるたびに、その時の気分で答えてきたものだから、いくつものバリエーションがある。

このサニー・ボーイ・ウィリアムソンという芸名も迷惑この上ない。実は、彼がデビューした時に、もう一人かなり有名な同名のブルースマンがいた。ライス・ミラーは、本家サニー・ボーイと活動地域がダブらないだろうと想定し、同じ名前を名乗る(普通の神経ならこんなことしないだろう?)。今では、紛らわしいので、古い方のサニー・ボーイをⅠ世。ここで取り上げている食わせ者の方をⅡ世と呼ぶことが多いが、今ではこのⅡ世の方が有名になってしまったという皮肉。

大言壮語のエピソードには事欠かない。一番有名なのは、かのロバート・ジョンソンの死に立ち会ったというもの。ロバート・ジョンソンは、何者かに毒を盛られて短い一生を終えるのだが、その日、サニー・ボーイは一緒にステージに立っていたという。客席からワインの瓶がロバートに渡された。サニー・ボーイは、ワインをロバートの手から払い落し、「栓のあいたワインなんて飲むんじゃねえ。何が入っているかわからねえぞ!」と注意したという。なのに、ロバートは次に渡されたワインを飲んでしまって、不運な死を遂げたそうな。

ただロバート・ジョンソンのまま子である、ロバート・ロックウッド・ジュニアとは親しかったのは事実で、このアルバムでもギタリストとしてジュニアは参加している。そのほか、マディ・ウォータース、ジミー・ロジャース、オーティス・スパンといったシカゴ・ブルースのオールスターメンバーが、サニー・ボーイのバックを支えている。

彼は怒りっぽく、気まぐれ。お金に汚く、人の悪口を言うのが大好きだったらしい。その彼がなぜ愛されていたのか。このアルバムに響き渡るハーモニカの音を聴けば、理解できる。彼のボーカルは、ちょっとビブラートをきかせていて、いい味を出しているが、上手いという感じではない。しかし、ハーブの音色は格別。オーケストラのバイオリンの合奏のように深い! どこで覚えたんだか、テクニックも凄い。アンプを通していない生の音だが、ニュアンスが豊かで、人間のすべての感情を表現する凄い演奏なのである。

このアルバムは、1955年から58年にかけて、チェスレコードに吹き込んだものをまとめたものだが、63年に彼は、フォークフェスティバルの一員として、ヨーロッパにはじめて渡る。おりしも、フォークブーム(ここでのフォークとは今でいうブルース)で湧いていたヨーロッパで、彼の演奏は受けまくる。彼はイギリスに残り、当時エリック・クラプトンが在籍していたヤードバーズやアニマルズと共演する。

以前書いたように、イギリスのロック・ミュージシャンには、ブラック・ミュージックに対するぬぐい難いコンプレックスがある。サニー・ボーイやジョン・リー・フッカーといったブルースマンが直接イギリスに渡り、若いロック・アーティストと共演しながら、ブルースの本質を注入・伝授したことは、その後のロックの展開を考えると、その影響はあまりに大きい。

彼は、帰国後体調がすぐれない中、ザ・バンドなどとともに、ステージをこなしていた。ザ・バンドのロビー・ロバートソンの証言によると、ステージの横にブリキ缶が置いてあり、サニー・ボーイは、血を吐きながら演奏を続けていたという。ある日、レコーディングセッションの予定が入っているにもかかわらず姿を見せないので、部屋を訪ねた仲間のミュージシャンが冷たくなっている彼を発見する。今の言葉で言うと孤独死。

はっきりとした素性もわからず、放浪を続け、いつ間にかキング・ビスケットというブルースを流すラジオ番組のDJとして一世を風靡し、レコードデビュー。ヨーロッパとアメリカを股にかけて旅を続け、多くの人を煙に巻いた男。B・B・キングのような尊敬されるミュージシャンでも、マディ・ウォータースのような大立者でもなく、胡散臭いブルースマン。

アメリカの黒人は、差別されて虐げられ搾取され抑圧されてきた。そんな教科書的な説明を超越した狡猾さ、逞しさ、気高さを彼の歌・生き方から感じる。彼は、多くのブルース・スタンダードを残しているが、その歌詞の内容は、マディ・ウォータースのようにマッチョで押しの強いものではなく、男が女に平謝りしたり、言い訳したり、懇願したりする、どうしようもなく情けないものが多い。ハーブの音色がその情けなさ、ダメさを増幅して表現する。それが、優れた芸術作品として成立するのが、ポピュラー音楽の不思議さである。

この音楽を聴いて、もう一度アルバムジャケットを眺めてみる。このアルバムの音楽、サニー・ボーイのブルースの魅力をよく表現しているジャケットだと改めて思う。

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B・B・キング「ライブ・アット・ザ・リーガル」

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今日は、ブルースの番。取り上げるのは、ブルースの王様。B・B・キング。ブルース界には、三大キングといって、B・B以外に、アルバート・キングとフレディ・キングがいる。

秘かにブルースにとって最も重要な楽器は、ハーブ(ハーモニカ)だと思っているが、一般的にはギターであろう。ブルースのギターを最高に格好良く男が、このB・B・キングである。

彼は、ローリング・ストーン誌が選ぶ偉大なる100人のギタリストで、3位にランキングされている。ちなみに、1位はジミ・ヘンドリクス(当然)、2位がオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマン(なるほど!)、4位がクラプトン(エ~ッ)、5位がここでも取り上げたロバート・ジョンソンである。このランキングの面白いのは、17位にホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトが入っているところ。

B・Bのギターの特徴は、スクイーズ・ギターといって、弦をピックではじいたあと、フレットで押さえている指を上に引き上げて、音をせり上げる奏法である。これが、いくつかあるエレキギターのカッコイイ奏法の一つなのである。ビヨーンとのけぞらせることで、メロディの美しさを際立たせつつ、ギターソロを延々と綴っていくパターン。

イギリス・アメリカのギター・キッズたちは、彼のフレーズをひたすらマネして、フレーズを盗んでいる。クラプトンのギターで、「このフレーズ決まってる!」と思ったら、それはたぶん3大キングの誰かのフレーズのコピーである。

ただし、B・B・キングは、ただのギタリストではなく、ブルース史上最高のボーカリストである。彼と肩を並べることができるのは、おそらくボビー・ブランドだけである。とてもソフトな声で、朗々と唄っている。彼は、ギターソロを弾きながら絶対に歌わない。

このライブ・アルバムは、彼の代表作。このアルバムの凄まじさは、聴いてみればすぐわかる。まず、ゴージャス。ブラス・セッションがバックについている。そのブラスの伴奏と彼のギター&ボーカルの掛け合いでガンガン盛り上げる。その盛り上げ方は尋常ではなく、だんだん歓声(しかも女性の嬌声)のボルテージが上がっていくのが、CDでも手に取るようにわかる。

ブルースというと、男の音楽っていうイメージ。場末のパブの端っこで、細々と演奏しているというようなシミジミ感が漂うが、それを一掃してしまったのが、B・B・キングである。これは、もうショー。ステージというのにふさわしい。

もうひとつ。ライブアルバムの傑作に「ライブ・イン・クック・カウンティ・ジェイル」がある。これは、文字通り、刑務所でのライブ。バックバンドの演奏に合わせて、語る、語る。まるで、ゴスペルの説教師。あおりまくって、歌に入る。それで、聴衆は、震えがくるほどの感動のるつぼに飲み込まれる。

B・Bは、ライブが大好きで、歳をとってからも、年間200本以上のコンサートをこなしているという。毎日、'Everyday I have the Blues'や'Why I Sing the Blues'を歌っているのだろう。本当の意味でのエンターテイナー。人を楽しませることに喜びを感じるプロの芸人である。

その能天気さに反発して、B・Bは二流のブルースマンだと偉ぶる人がいるが、彼を通じて多くの人がブルースの魅力に触れたという意味で、彼はブルースの入り口であり、彼の演奏によって、ブルースの可能性が広がり、はっきり言ってブルースで食っていける人が出てきたという意味で、ブルースのイノベーターである。

私は、プロフェッショナルが好きである。「演奏なんて下手でもいいじゃん」という甘えが見え隠れするロンドン・パンクが嫌いな理由もそこにあるが、お客から入場料をとり、CDを商業ベースで売るからには、手間ヒマをかけたプロの音楽を聞かせてほしいと思う。B・B・キングの演奏には、プロとしての誇りをとっても感じる。

ただ、そんな理屈を無にするような、なんという声の魅力! 包み込まれている感じの甘い声(エルビス・プレスリーの発声は、B・Bを真似ていると私は踏んでいる)。トトロのお腹に乗っかっているような安心感を与える声。

その声だけでうっとりしてしまっているところに、ダメ押しの歌うようなギター攻撃。ブルースの魅力のすべてが詰まっているアルバムである。長年ロックを聴いてきた人を、どうしてもブルースに引き込みたいときには、このアルバムが最適である。

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