先生が語る大人の音楽

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イエス「危機」

イエス/危機

このジャケットは、イエス(なんてポジティブなバンド名!)というプログレのバンドが1972年に発表した最高傑作「危機」"Close to the Edge"である。

このジャケットは一見地味だが、彼らのアルバムの多くは、ロジャー・ディーンによって描かれている。以前ピンク・フロイドのときに紹介したヒプノシスと並ぶロック・アルバムの世界で有名なジャケット・アーティストである。このアルバムも、LPのときには、2つ折りの内側に、曲のイメージにピッタリな「崖」のイラストが描かれていた。

イエスの「危機」は、日本のプログレファンのサイトで、アルバム人気投票1位を獲得したアルバムである。つまり、日本のファンの間では、「クリムゾン・キングの宮殿」、ピンク・フロイドの「狂気」よりも人気がある。プログレの真髄を味わいたいと思うならば、まっさきに聴くべきはこのアルバムである。プログレのすべてがパッケージされていると言ってもいい。

イエスのヴォーカルは、ジョン・アンダーソン。グレッグ・レイクの後釜でキング・クリムゾンのヴォーカルを担当するという話もあったという逸材で、実際、クリムゾンの「リザード」というアルバムでタイトル曲を熱唱している。曲のコンセプト、歌詞・作曲においても中心的な役割を果たしている。

ギターがスティーヴ・ハウ。聴いてもらえばわかるが、天才ギタリスト。複雑なパッセージを難なくこなす。ベースは、クリス・スクワイア。私は、イエスのサウンドの鍵のひとつは、彼のベースサウンドにあると思う。スペイシーな音空間を作りつつ、サウンドにうねりを持たせる。しかも、タイム感覚は正確無比。

そして、ドラムスは、いわずと知れたビル・ブラッフォード。イエスのキャリアをスタート地点として、キング・クリムゾンの第2期・第3期の黄金期を支え、UKなどの中心メンバーに。超絶的なテクニックがよく指摘されるが、それよりも、他のメンバーのプレイを支える力がすごい。

そして、キーボードがリック・ウェイクマン。ストローブスというフォークバンドに籍を置いていたが、彼のキーボード=イエスのサウンドだと言ってしまおう。イエスのサウンドは、プログレバンドの中では一番クラシック色が薄いが、彼の教会のパイプオルガンのようなサウンドとアンダーソンの訳のわからない抽象的な歌詞が「プログレ」を成立させている。ウェイクマンは、おそらく相当なわがままで、イエスをやめたり復帰したりを繰り返す。イエスのアルバムの中で、彼が参加したアルバムは、無条件にOK。参加していないアルバムは、要警戒。

つまりは、オールスターキャスト。5人の天才プレーヤーが我を張らずに曲の完成に向けて、収斂していく。完璧なコーラスワーク。乱れを見せないアンサンブル。タイトル曲"Close to the Edge"は、19分近くかかる大曲だが、このあと発表されたライブアルバム「イエス・ソングス」で、完全生演奏している。しかも、演奏時間もほぼ同じ。

聴きどころは、なんと言ってもタイトル曲。LP時代には、この曲でA面全部を占めていた。長い曲だが、まったく飽きない。組曲になっており、1つのモチーフを維持しながら、めまぐるしく曲が展開する。別の曲として作曲されたメロディーを、詞によって共通性をもたせつつつなぎ合わせ、ひとつの曲としての統一性を保っている。

この方法論で有名なのは、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のラストを飾る"A Day In the Life"。これも、ポール・マッカートニーが作った中間部分を、ジョン・レノンが作った曲でサンドイッチしたもの。そして、最後に衝撃のピアノクラスター。

"Close to the Edge"のめくるめく展開に翻弄させていると、最後にとてつもない感動が待っている。どんどん盛り上がっていき、"I Get Up, I Get Down"というフレーズで迎えるフィナーレ。そう。フィナーレというのにふさわしいエンディングを迎える。ヘッドホンで大音量で聴いていて、この部分で、まったく感動できない人がいるとしたら、音楽的な感性が自分には欠けている思って、音楽を人生の糧にするのはあきらめた方がいい。

次の収録されている"You and I"も、"Siberian Khatru"も、プログレらしい名曲。これほどまでに完璧な内容をもち、退屈な部分がないプログレのアルバムは、そうない。このアルバムでイエスの魅力にはまったら「こわれもの」と「究極」は、聴いて欲しい。めくるめく感動が待っている。

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R・L・バーンサイド「ア・アス・ポケット・オブ・ウィスキー」

R・L・バーンサイド/ア・アス・ポケット・オブ・ウィスキー

ブルースには珍しいジャケット。いかにも肉体労働で鍛えましたといったオヤジが、なぜかベルトをはずして、きれいな(?)ネーさんに背を向け、きばって立っている。しかもイラスト。R・L・バーンサイドという無名だったブルースマン、70歳のときのアルバム。

このアルバム。1996年2月6日の午後録音と書いてある。、1996年時点のブルースの現在、というか、ブルースの未来までもがパッケージされている。午後とわざわざ書いているからには、ほとんど一発録音に近かったに違いない。

共演者が興味深い。ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの面々。私の手元にこのアルバムがあるのも、彼らが参加しているからに他ならない。ジョン・スペンサーとジュダ・バウアーがギター、ラッセル・シムズのドラムスのベースレストリオである。

ブルース大爆発(エクスプロージョン)というネーミングに騙されて、彼らのアルバムを買うと痛い目にあう。ポストパンク世代の彼らは、2つの音楽の要素をミックスさせている。ひとつは、当然のようにパンク。もうひとつが、「インダストリアル」といわれるサウンド。ドイツのアインシュルツェンデ・ノイバルテンというバンドの影響をもろに受けている。

パンクとインダストリアルという尖ったサウンドのぶつかり合いから「ブルース」が匂い立つというのが、ジョン・スペンサーたちのバンドコンセプト。その彼らが全く無名といっていいバーンサイドというブルースマンと作ったアルバムなのである。

バーンサイドは、絵にかいたような苦労人。若い頃、一家で南部からシカゴに出てきたが、数日で父親・兄弟が強盗に遭い殺される。彼は、都会と田舎を行ったり来たりしながら、農業労働者やトラック運転手などを続けて、家族を食わせる。殺人の罪で刑務所暮らしも経験したこともあるという。なぜか6か月しか収監されなかったそうだが。

ブルースマンとしては、若干の録音歴はあるものの、仕事のあとに田舎のバーで演奏するのが常のセミプロといった方がいいのかもしれない。ところが、彼の演奏を聴いたジョン・スペンサーがぞっこん惚れて、彼に連絡をとりレコーディングしたのが、この作品である。

1曲目"Goin' Down South"から、コケる。いきなり、「クゥワァー!クゥワァー!」とカラスの鳴き真似。しかし、そのあと、カッコよくもノイジーなリフが聞こえてきて、ドスの効いたバーンサイドのボーカル。これまで、エリック・クラプトンのクリームやジミ・ヘンドリクスのヘビーなブルースロックを聴いてきたが、それよりもずっとずっとヘビー。

2曲目。"Boogie Chillen"。バーンサイドのアイドル、ジョン・リー・フッカーの大ヒット曲である。ブギーのリズムを繰り返して、魔術的に盛り上げていく。ボーカルとバックバンドの掛け合いが決まっている。8曲目には、ロバート・ジョンソンの名曲、最後にはポピュラーの名曲"Have You Ever Been Lonely?"を配置。

ジョン・スペンサーたちも、相手に合わせてブルース色が強い演奏をしているが、バーンサイドは「そんなの関係ない」の気合いとパワーで圧倒する。犬は、瞬時に周りの人間や動物の間の序列を察知し、自分をその中に位置付けるというが、このアルバムでは、バーンサイドの「クゥワァ」で、誰が親分かが決まってしまった感がある。

重要なのは、そこで生まれた化学反応。バーンサイドのはったり。ジョン・スペンサーたちのリスペクト。両者の音楽的な嗜好。そこで生みだされたサウンドは、なぜか涙が出るほど美しい。ノイジーなのに美しい。

ブルースもジャズと同様、「型」ができてしまっている。こう演奏すればブルースらしいという型がある。聴衆もそのような演奏を期待している。しかし、ディランがフォークの聴衆の前でエレキギターを演奏したように、聴衆の保守的な期待を裏切る勇気がないと、そのジャンルでの革新は生まれない。だんだんとラディカルさは失われ、過去の遺物になっていく。

このアルバムのテンションの高さ。今まで存在しなかったブルースをディスクに刻もうという志の高さに惹かれてしまう。ブルースが息づいているという実感。

まあ、このオヤジも、サニーボーイと同じように食わせ者だったと思うけれど。

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ヘルベルト・ケーゲル「マーラー交響曲第1番巨人」

ケーゲル/マーラー交響曲第1番

今回から、クラシックと取り上げるときはピアニストを離れて、指揮者を扱う。まずは、カルト的な人気を誇る指揮者、ヘルベルト・ケーゲルである。

指揮者は、大きくマーラー指揮者とブルックナー指揮者に分けられると思う。たとえば、バーンスタインはマーラーを愛し、その魅力を世の中に伝えるのに十分なすばらしいマーラー全集を2つも残している。カラヤンは、晩年ウィーンフィルを相手にブルックナーばかりを演奏し、最後の録音もブルックナーの7番だったと思う。

このふたりの作曲家のオーケストラ音楽の構築方法は両立しないと思われる。ブルックナーは、瞬間の音も、全体の流れも、「重ねていく」という意識がないとダメで、全体への志向が強くないと、ただ音響が鳴っているだけのツマラナイ音楽になってしまう。マーラーでは、いくつもの異なった音やメロディーの断片がいれかわり立ち替わり現われては消えていく。もちろん、交響曲なので全体への見通しは必要だが、それよりも、瞬間瞬間の刹那的なサウンドを処理して音楽的に聴かせる能力が求められる。

これから、しばらく間、マーラー作品を紹介しつつ、その曲で私が一番好きな演奏を残している指揮者を取り上げる。今回は、第1番。マーラーは、死を異常に怖れていた。ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ドボルザークなどが交響曲9番を書いたところで亡くなったのを意識して、8番を書いた後、「大地の歌」というタイトルの交響曲と歌曲を合わせたような番号無しの作品を発表する。これで安心して、そのあと9番を発表(個人的には最高傑作だと思う)したが、やっぱり10番を作曲中に亡くなる。ヴィスコンティの「ベニスに死す」はマーラーの死を題材にした美しい映画。

ウィーンの人気指揮者として一世を風靡していた彼は、日曜作曲家で、そろそろ「ゲンダイオンガク」の時代に入っていたにもかかわらず、調性にこだわり、しかも演奏に1時間以上かかるような長大な作品を生み続けた。生前「いつか自分の時代が来る」と言っていたそうだが、バーンスタインが取り上げ、やがて長時間再生が可能なCDというメディアが現われ、本当に彼の時代がきた。

その彼の交響曲デビューがこの曲。「巨人」というのは、ジャイアントではなくタイタンのこと。
まだ、青春の名残りが感じられる青臭い作品だが、マーラーの曲の中では、4番とならんで比較的コンパクトにわかりやすくまとまっており、以前からよく演奏されてきた。

私にとって、この曲の肝は、次の3か所。冒頭のカッコウを真似た導入部で、朝の霧がかかった森の雰囲気が出せるか。世紀末ウィーンの退廃的な香りとマーラーが子供時代に過ごしたボヘミアの民謡が交錯する第3楽章。それから最終楽章冒頭の嵐のような混乱とそれが終息して迎える救済のエンディングへの流れ、そこに感動が訪れるのか。

第1番の演奏には、たとえば、ワルター盤、バーンスタイン番など名盤が目白押しで、個人的にはアンチェルという人がチェコフィルを振った盤も大好きだが、私が最もよく聴くのが、このヘルベルト・ケーゲルのCDである。彼は、一部クラシックマニアの間でカルト的な人気を誇っている。

実は、彼の代表作は、他にある。絶対に外せないのが、ビゼーの「アルルの女」組曲とヴィヴァルディの「協奏曲集」。それから、かつて駅で売っていた安売りCDに1曲だけ収録されている「アルビノーニのアダージョ」。聴いた人はすべて「なぜ自分は生きているんだろう?」と問いかけ、死を考えるという暗いクラーイ演奏。落ち込んでいるときに聴いたら危険な音楽。

そんな噂を聴いてずっと探していたが、ようやく手に入れて聴いたら、ほんとにその通り。重い鉄の鎖を引きずるようなテンポで、しかも澄み切った音色の弦楽器と荘厳なオルガンが音を交錯させる。デスメタルよりも、はるかにヤバい音楽。カラヤンがベルリンフィルを振ってこの曲を演奏すると、ゴージャスなムード音楽になるのに。

それ以外にも、マーラーの4番、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ベルクの救いのないオペラ「ヴォツェック」、ドイツ語版で不思議なビゼーの「カルメン」などもお勧め。

さて、ケーゲルのマーラーの第1番だが、なによりも第3楽章。ワルツの部分があるのだが、音が引っかかって全然踊れない。ワザと不自然な流れを作っている。第4楽章。驚異のアインザッツ(弦楽器などのタイミングがそろっていること)で奏でられる14分前後の演奏は、ブルックナーのアダージョのように、魂が浄化されていく過程を体験できる。

彼は、東ドイツのライプツィヒ放送響やドレスデンフィルの首席指揮者に君臨し、膨大なレコーディングを残したが、1990年、ベルリンの壁の崩壊のあと、ピストル自殺をした。70歳だった。自由化後の仕事に不安を持ち、鬱状態だったともいう。

オーケストラをひとつの楽器のように完全にコントロールする能力はカラヤンに匹敵すると思うし、そこで表現される音楽は、カラヤンよりもずっと深淵で、ときに危ないものだった。現在の海外ビジネスマンのようなスマートで薄っぺらな指揮者が多い中で、生きていてくれれば貴重な存在になったはずである。

慰めにはならない。死と向き合う音楽。

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ジミー・スミス「サーモン!」

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このジャケットは、ジミー・スミスの「サーモン!」。サーモンというのは、Salmon(サケ)ではなく、Sermon(お説教)のことである。教会で、信者が順に話をしていく感じを表現したものである。そう言われてみると、熱の入った説教をしているように見える。

ジミー・スミスは、オルガンでジャズを演奏するプレーヤー。ブルーノートの名プロデューサー、アルフレッド・ライオンは、スミスのプレイを偏愛しており、実は、スミスのリーダーアルバムは、ブルーノートレーベルにおいて、他のプレーヤーのアルバムを数で圧倒的している。そのサウンドが気に入っていたということもあるが、とてもよく売れて、ブルーノートの貴重な収入源だったという。

このジミー・スミスの代表作は、ブルーノート移籍後に発表された「ザ・キャッツ」というアルバム。私は、有名なジャズ・プレーヤー、ジミー・スミスの代表作だとジャズの紹介本に書いてあったので、このアルバムをまず購入して聴いたのだが、全然ピンとこなくて、がっかりした記憶がある。

やがて出会ったのが、このアルバム。ジミー・スミスの凄さが理解できた。テーマ曲"Sermon!"の構成は、実に簡単。まず、ジミー・スミスがテーマとソロを弾く(3分40秒)、次にギターのケニー・バレルのソロ(約3分)、それから、テナーサックスのティナ・ブルックス(5分)、名トランペッター、リー・モーガン(3分)、アルトサックス、ルー・ドナルドソン(4分)と続き、トランペットとオルガンの掛け合い、ジミー・スミスのオルガンによるテーマで、フェイドアウト。だらだらと20分もかかる。

このような演奏形態をジャム・セッションという。あまりリハーサルをせず、たっぷりとソロの時間をプレーヤーに与えて、好きな演奏をしてもらうという形。この20分間を真剣に聞いてはいけない。

私は、ジャズには大きく2つのタイプがあると思う。どうしても耳が引きつけられて、神経を集中させて聴かざるを得ない、聴き流しを許さないジャズ演奏。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスの演奏がこれにあたるだろう。ビル・エヴァンスの名盤「ワツル・フォー・デビー」は、ジャズクラブで、誰も真面目に聞いていない中での演奏だったが、CDでは思わず集中して聴いてしまう。

それから、もう一つのタイプのジャズ。それは、距離を置いて聴くことができる演奏。このタイプのジャズは、価値がないというのではない。そういう曲を流すと、サウンドが部屋全体に広がり、空気を変えていき、ジャズな雰囲気を作ってくれる。まったく真剣に耳を傾ける必要がなく、本を読んだり、考え事をしたりしながら聴くことができる。そして、ときどきカッコいいフレーズが飛び出したときに、音に集中する。そんな音楽。

ジャズプレーヤーは、日常的にはクラブで演奏しており、そこでは、与えられた時間を自分の演奏で埋めていくという感覚で、即興演奏をしているに違いない。伝説のサックス奏者チャーリー・パーカーのように、あらゆる瞬間に最高のソロを繰り広げようとしたら、命が持たない。

どちらのタイプのジャズが素晴らしいというのではない。どちらも私のジャズ人生にとって欠かせないものである。特に、このアルバムで印象的なのは、ドラムスがアート・ブレイキーで、前へ前へとプレーヤーを煽っていること。それが、ジャス的なグルーブを生んでいる。彼は、このようにして、自分のバンド「ジャズ・メッセンジャーズ」で、名だたるジャズマンを育ててきた。

また、ジミー・スミスも、各プレーヤーのソロの後ろで、スコット・ラファロがビル・エヴァンスのピアノの後ろでチャチャを入れていたように、絶えずベース音のように、ファンキーなサウンドを繰り出している。そのすべてがジャズ的空気を作り、部屋に広がっていく感じがする。

大物プレーヤーがリラックスした雰囲気でちょっと流し気味にソロを提供している中で、たぶん20歳前後であったであろうティナ・ブルックスだけが、余計に時間を与えられ、期待に応えようと全力でソロを展開している。その力の入れようが愛らしい。彼は、結局一流プレーヤーにはなれずに、ひっそりと姿を消す。

ジミー・スミスの作るサウンドは、中毒性があるのだろうか。一度はまると、何枚ものアルバムを買って、そのワン・アンド・オンリーなオルガンサウンドに身を浸したくなる。一番のお勧めは、「ミッドナイト・スペシャル」か。彼のオルガンには、ケニー・バレルの都会的なギターがよく似合う。

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