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キース・ジャレット「生と死の幻想」

キース・ジャレット/生と死の幻想

この美しいジャケットは、キース・ジャレットというジャズ・ピアニストの「生と死の幻想」というアルバム。原題は、"Death and the Flower"。このジャケットの裏(LPの時はたしか見開きの中)は、赤と緑の部分が灰色になっている。

キース・ジャレットは、名門ジャズ・メッセンジャーズに参加後、1970年にマイルス・デイビスのグループに参加するという輝かしい経歴の持ち主。ときに、マイルスは、エレクトロニックジャズを展開しており、キースは、チック・コリアとともにキーボードを担当。チック・コリアがエレ・ピアノを弾くことが多く、キースはオルガンに回っていた。当時の彼の演奏は、名盤「マイルス・アット・フィルモア」などで聴くことができる。

彼は、マイルスのグループを退団してから今まで、なぜかアコースティック・ピアノにこだわり、エレクトロニック楽器を手にしていない。おそらく、マイルスのバンドでグループが達していた「高み」に届かない、それを可能にするギタリストやベイシストをジャズ界で見つけられないからだと思われる。ということで、キース・ジャレットといえば、ソロ・ピアノ(いずれ取り上げる「ケルン・コンサート」や「サンベア・コンサート」)か、スタンダード・トリオの傑作群がまず思い浮かぶ。

しかし、プログレッシブ・ロックを経由してジャズに入った私にとって、キースのアルバムで、まず頭に浮かぶのは、このアルバムや、ほぼ同じメンバーで臨んだ大作"Survivors' Suit"である。

リーダーのキース・ジャレットは、ピアノのほか、笛なども担当している。ベースがチャーリー・ヘイデン。ドラムスが、ビル・エバンス、スコット・ラファロと伝説のピアノ・トリオを組んでいたポール・モチアン。サックスにデューイ・レッドマン。以上がアメリカン・カルテットと呼ばれるレギュラーメンバー。それから打楽器で、ギルハーム・フランコが助人で参加している。

彼は、このメンバーで、あのコルトレーンが在籍していたことで有名な「インパルス」というレーベルに作品を残す一方で、ECMという、その後長い付き合いとなるドイツのレーベルに、ヨーロッパで活動するメンバー中心のヨーロピアン・カルテットによる録音を残している。このカルテットでは、アルバム「マイ・ソング」が私の愛聴盤。

このアルバム最高の聴き所は、23分ほど費やされる1曲目のタイトル曲。4分ほど、笛とパーカッションだけの演奏が続く。ちょっと退屈で忍耐が必要な「お預け」状態だが、そこは我慢。そのあと、ベースの音。深い深い音が「ドゥワーン」と響く。

私は、チェーリー・ヘイデンのベースの音が大好きである。ベースの音一発で感動させることができるのは、チャールス・ミンガス、スコット・ラファロと彼ぐらいだと思う。実は、"Death and the Flower"の後に収録されている"Prayer"(祈り)という曲は、彼とキースの、つまりベースとピアノのデュエット。声を大にして勧める演奏ではなく、秘かに楽しみたい演奏だが、ひょっとしたらチャーリー・ヘイデンの最高傑作ではないかと思うくらいの名演奏。二人の会話、語りあいが感動を呼ぶ。

タイトル曲に話をもどすが、ベースのソロの後、満を持してのキースのピアノ。そこには、すでに「ケルン・コンサート」におけるピアノのクリスタルな響きを聴きとることができる。最高のメロディーが次々の紡ぎだされる。そして、なんと(計算したように)8分後に、デューイ・レッドマンのサックスが登場。荘厳なテーマメロディを吹く。

そこからは、ジャズ的アドリブが展開。最後にテーマメロディに戻り、エンディングを迎える。よくできた構成。プレイヤー同士の会話が聞こえてきそうなインタープレイ。次々に繰り出される必殺のメロディ。最初の4分を除けば飽きるところがなく、あっという間に時間が過ぎている。

そう。これは、ジャズというジャンルではあるが、どう考えても、私にはプログレ的な展開にみえる。このアルバムが発表されたのが1971年。もう「クリムゾン・キングの宮殿」もピンク・フロイドの「原子心母」も生み出されていた。キースは、絶対にロックの一大ムーブメントであったプログレをジャズ的に料理しようとしていたに違いないと、私は踏んでいる。

そういえば、彼は、マイルスのグループに参加する前に、フラワー・ムーブメントのさなか、チャールズ・ロイドというジャズをロックっぽく演奏して、ヒッピーたちに受けていたジャズ・バンドに在籍していたし、リーダー作「サム・ウェアー・ビフォー」では、ディランの"My Back Pages"をジャズ化していた。

キース・ジャレットは、現在生存しているジャズ・プレイヤーの中では、ハービー・ハンコックと並んで、ダントツの巨人である。某「スイング・ジャーナル」という雑誌で、ジャズ・ジャイアント30人を選ぶという企画があった。有名なジャズ評論家数名が選考していく過程が座談会形式で掲載されていたが、なぜかキースは候補にあがったものの、選ばれなかった。

私がファンだからというのではないが、この企画に日本のジャズ評論の貧困をみた。好みや感性でしかアーチストや作品の価値を判断できない凡人たちの集まり。ジャズ評論には、感性も大切だが、次の3つの要素が必要とされる。第1に、そのアーチストや作品の内的な世界において、どのような芸術が生み出されたのか(深さに向かう視点)。第2に、他の音楽、他の文化的なムーブメント、その背景にある社会状況とどのように関わりあっているのか(広がりの視点)。第3に、ジャズという音楽の過去から現在、未来に至る時間的な流れの中で、どのような役割を果たしているのか(時間軸の視点)。

そういった3つの視点からいって、キース・ジャレットは、ジャズ史上、屈指の重要人物であることは間違いない。たしかに、本人は、嫌なヤツらしい。私が観に行ったスタンダード・トリオのコンサートでも、最前列に座ってゴソゴソしていた聴衆をいきなり怒鳴りつけ、カバンの中で隠し録りしていたカセット・テープ(懐かしい!)を取り上げたことがあった。

それにしても、性格の悪さからは到底信じられない、この深い精神性は、何なんだろう。ジャズというジャンルを彼ほど意識して活動しているアーチストはいない。ジャズの内側に沈降するのではなく、ロック、フォーク、クラシックといった周辺ジャンルの要素を貪欲に取り込み、ジャズに何かを加えることで生き返らせようと、孤軍奮闘しているように思える。すでに死んでいるジャズを生き返らせようなんて無理な挑戦だと思うけど。

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クイーン「クイーンⅡ」

クイーン/クイーンⅡ

新年最初のブログで何を取り上げようかと考えたが、イギリスの国民的なバンド、クイーンにする。忘れがたいヒット曲がたくさんパッケージされたベストアルバムにしようかとも思ったが、「クイーンⅡ」は、私が最初に聴いた思い出深いアルバムである。

私が最初にロック音楽を意識して聴いたのは、中学入学直前、ビートルズだった。それから1年あまりビートルズ漬けの毎日を過ごしたが、キング・クリムゾンの力を借りて、ビートルズから解放され、いろいろな音楽を聴くようになった。

私が中学生当時、最も人気があったバンドがクイーンである。「ミュージック・ライフ」という音楽雑誌で毎年行われる人気投票で、バンドの1位は何年もクイーン。ボーカリストの1位はフレディ・マーキュリー、ギタリストの1位もブライアン・メイ、ドラマーの1位はロジャー・テイラーで、すべてクイーンのメンバーだった。ベーシストだけが、たしかジョン・ディーコンではなく、ポール・マッカートニーだったような気がする。私の初恋の彼女は、ジャケット右側にうつる、イケメンドラマーのロジャー・テイラーの大ファンだった。

クイーンは、デビュー当時、レッド・ツェッペリンの後継バンドとして期待を集めた(というかコピーバンド扱いされていた)。ある批評家は、こんなルックス重視のバンドが売れたら「帽子を食べてやる」と言ったほど、イロモノ扱いされていた。

実は、クイーンは、このアルバムの時点では、イギリス本国でほとんど評価されておらず、次のアルバム「シアー・ハート・アタック」に収録されている"Killer Queen"がようやくヒットし、その勢いを借りて発表した"Bohemian Rhapsody"が英国シングル史上最大のヒットを記録し、イギリスを代表するバンドにのし上がる。

ボヘミアンが1曲目に入っているアルバム「オペラ座の夜」が彼らの代表作として挙げられることが多いが、われわれの世代にとっては、まだ人気が爆発する前に日本人が本国よりも先に「発見」するきっかけとなった「クイーンⅡ」の方が大切なアルバムである。このアルバムには、クイーンというバンドの(日本人が考える)魅力のすべてが詰まっており、このアルバムの魅力をいかに継承しているかで、わたしたち日本のファンは、彼らのその後のアルバムを評価してきたと思う。

それにしても、クイーンとは、なんて人をくったバンド名だろう。さすがに、日本で「天皇」とバンド名をつける勇気はないと思う。もちろん、王室・皇室と国民の関係は英国・日本では全然違うが、そこには、英国の国民バンドとなるんだぞ、という気概とともに、少し醒めたウィットが感じられる。曲はオペラティックでメロディアス(そこが日本人好み)で、次々と展開し、新しいアイディアが繰り出される。フレディの超絶ボーカル(4オクターブ)、ギターらしい音を駆使するブライアンのギター(Nobody played synthesizerと明記されている)、完璧すぎるハーモニー(ボヘミアンを聴け!)などなど、今このアルバムを流しながらこのブログを書いているが、どんどん言葉が溢れてくる。

「芝居がかっている」というのが彼らの音楽のミソだと思う。変な扮装をして、劇のように演じながら歌うパフォーマンスを「シアトリカル」という。ジェネシスのピーター・ガブリエルがその代表で、音楽のタイプが違うが今はアントニー・アンド・ザ・ジャクソンズ(「アイ・アム・ア・バード・ナウ」は超お気に入りアルバム!)などに受け継がれている。

クイーンは、そこまで、英国風シアターの雰囲気にこだわっているのではないが、どこか大げさで、嘘っぽく、真面目に受け止めようとすると肩すかしをくらう。英語にキッチュという言葉があるが、これが彼らに一番ぴったりくる表現かもしれない。そこに楽しんでもらおうというサービス精神が加わる。だから、彼らの音楽は、単純に楽しい。理屈抜きに、カッコよく、シリアスぶらないのが好きだった。フレディのピッチリパンツで「もっこり」は、観ていてさすがに恥ずかしいが。


このアルバムは、LP当時、A面がホワイトサイド、B面がブラックサイドになっていた。ホワイトサイドは、ブライアンが中心のサウンド作りであり、"White Queen"が素晴らしい。ブラックサイドは、フレディのプロダクションで、"Ogre Battle", "The March of the Black Queen"などの名曲が並ぶ。凡庸なプログレバンドが20分かけて表現する音楽を、5分程度で詰め込むのが彼らの方法論。この方法論が結実するのが、ボヘミアンである。

彼らは、そのあと、どんどんヒット曲を生み出し、英国の国民バンド、世界的なバンドになっていく。以前にもこのブログに書いたが、ライブエイドのとき、イギリス会場で聴衆が圧倒的に盛り上がっていたのは、デビッド・ボウイとクイーンだった。クイーンは、ライブバンドとしても超一流であった。

「ゲーム」あたりまでは、ニューアルバムの発売日に購入して楽しんでいたが、しだいにアメリカ市場を意識するようになり、「クイーンⅡ」の世界からは遠ざかって行った。音楽的にダメになったとは思わないが、しだいに私の関心領域の外で活躍する存在になっていった。

91年11月。フレディ・マーキュリーは、エイズでこの世を去る。病気の報道を聴いていたので、ジョン・レノンほどの衝撃もなく、「そうか」と冷静に受け止めた。先日、大学時代の友達で集まったとき、カラオケボックスで、クイーンの思い出話になり、みんなで"I Was Born to Love You"を大合唱した。ビートルズが私よりも上の世代にとって特別な存在であるように、クイーンは、私達の世代の大切な大切な音楽なのだと、再認識した。

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