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レイフ・セーゲルスタム指揮「マーラー交響曲第2番復活」

セーゲルスタム/マーラー交響曲第2番

このジャケットに写っているサンタクロースみたいな人物。名前をレイフ・セーゲルスタムという。フィンランドの作曲家で指揮者である。

このジャケットは、これから話していくマーラーの交響曲第2番のものではない。アマゾンで検索したが、どうも廃盤になっているようで、入手困難。中古で1万円近くもする。このアルバムの本来のジャケットは風景画で、たいしたことがないので、ジャケットに顔が写っているものを適当に探してきた。

私にとってフィンランドといえば、森と湖の国。大作曲家シベリウスを生んだ国。そして、ムーミンの国。私の夢は、いつかフィンランドのナーンタリにあるムーミン谷というテーマパークを訪れることである。7-8年ほど前の5月に一度学会でフィンランドのヘルシンキを訪れたことがあるが、まだ湖は凍っていて、めちゃくちゃ寒く、ムーミン谷は冬眠中であった。

セーゲルスタムの本業は、作曲家である。長大な交響曲をなんと20曲以上も作曲しているそうな。1曲も聴いたことがないが。彼が指揮者として録音したCDの数も膨大。CHANDOSやNAXOSに、シベリウスをはじめとする北欧の作曲家を中心に、エネルギッシュに録音している。

残念ながら、セーゲルスタムを一流の指揮者だと評価するクラシックファンは、ほとんどいないであろう。歴史に名を残すような演奏は、正直皆無。かく言う私も、セーゲルスタムのCDで聴くのは、デンマークの国立放送交響楽団を指揮した、このマーラーの2番だけである。

CDというメディアが出現して長時間録音が可能になり、猫も杓子もマーラーの交響曲を録音するようになるまで、彼の交響曲は、ワルターやクレンペラーといった彼の弟子たち、伝道者としての使命感に燃えていたバーンスタインを除いて、ほとんど演奏されることはなかった。その中で、クラシックのコンサートで細々と取り上げられていたのが、2番(復活)である。

そのくらいの名曲である。実は、この曲。そこそこの力量をもったオーケストラが演奏すれば、少々指揮者がダメでも、感動できるタイプの曲である。ベートーベンの第9、ブラームスの1番と同じように、最後に異様な盛り上がりをみせ、何がなんだかわからないうちに、感動の渦の中に巻き込まれていく。そういう仕掛けがある。

なので、マーラーの2番には、名盤と呼ばれるディスクがたくさん存在している。バーンスタインの新旧録音、シェルヘンのものなどが私のお気に入りであるが、ガイドブックで紹介されているものを購入して聴けば、最後には感動が用意されている。1時間半以上の時間がかかって、かなり疲れるが。

しかし、このセーゲルスタムの演奏は、特別、というか「特異」である。一言でいえば、演奏がノロい。演奏時間も他の演奏家よりも時間をかけているが、体感速度はさらに遅く感じられる。ゆっくりした演奏で有名な人に、いずれここでも取り上げるチェリビダッケというカリスマ指揮者がおり、ブログなどでは、セーゲルスタムの演奏がチェリビダッケのブルックナーを思い起こさせると解説されている(チェリビダッケはマーラーを演奏しなかった)。

だが、チェリビダッケの遅さとセーゲルスラムの遅さは、本質的に違うと思う。チェリビダッケは、楽譜に書かれた音符のすべてを有機的に表現しようと考え、ものすごい情報量を聴衆に伝えたいと思った。その情報量を聴衆が処理するのに、ある程度のスピードの遅さが求められた。つまり、スピードが速すぎると、自分が伝えようとしたことが伝わらない。考える時間を与えるための遅さだったのではないか。

セーゲルスタムの遅さは、なんなのかというと、そのスピードがもっとも人間が美しいと感じる響きが残るものだという判断に基づいている気がする。マーラーの曲では、複数の旋律が同時に、あるいは入れ替わり立ち替わり現われては消える。そのひとつひとつの旋律の美を、余韻を残して楽しんでほしい。そういった美意識の現われが、このような演奏を生んでいる。

だから、この演奏は、ひたすら美しい。しかも、だんだーん遅くなっていく印象を与える。CMで、イチローのバットスイングのスローモーションをみて、その美しさに唖然としたことがあるが、それと似ている。じわーっとした美しさが繰り返され、最後のフィナーレに導かれていく。最終楽章は、雲間から一条の光が差し込み、だんだんと光の帯の幅が広がり、最後は光に満ちたされる。そのプロセスが刻々と表現される。

彼は、マーラーの全集を録音しているが、すべての交響曲で、この方法論が成功しているわけではない。ほとんども場合、マーラーの魅力の一つである「暗さ」「深刻さ」が犠牲にされている。それでも、この1枚は、私の100枚以上はあると思われるマーラーのCDの中で、特別な位置に備え付けられている。

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キース・ジャレット「ケルン・コンサート」

キース・ジャレット/ケルン・コンサート

前回に引き続いて、キース・ジャレットを。この「ケルン・コンサート」は、彼の得意とするソロ・パフォーマンスをとらえた逸品。おそらく、彼のアルバムで最もよく聴かれているのではないか。

私がキース・ジャレットのパフォーマンスをはじめて聴いたのは、高校生の時。場所は武道館。ほとんど予備知識もないまま、友達に誘われてぶらっと出かけたコンサート。会場の真ん中にグランド・ピアノが1台。2階席から眺めていると、彼がどこからともなく現われて、ピアノの前に座り、おもむろに演奏を始めた。

彼のピアノからは、いろいろな音が飛び出した。途中、たぶん発想に行き詰ったときにだと思うが、ウンウンうなり声をあげ、椅子から立ち上がり、足踏みをする。「なんだか苦しそうに演奏する人だなあ」と思っていた。

そのときは、彼の演奏に感動するだけの感性が育っていなかったというか、それがジャズであることすら、あんまり意識しないで聴いていた。しかし、弱音、アルペジオで弾いたときに、音符に羽根がはえてピアノから舞いあがるような印象をもったのを記憶している。

この時のパフォーマンスは「サンベア・コンサート」として、CD6枚組で発売されている。私の大切な宝物となっているが、人に紹介するには、やはりこの「ケルン・コンサート」である。このアルバム。LPの時には2枚組だった。CDで1枚にまとめられる際に、一部削られているのが残念である。

キース・ジャレットが残した数あるソロ・パフォーマンスの中で、なぜこのアルバムが一番人気があるのか。理由は、いたって簡単である。魅惑的なメロディーに溢れているからである。エドワルド・イザークというアコースティック・ギタリストが、その名も「ケルン・コンサート」という曲を録音している。このアルバムのおいしいメロディを集めて、ときにボーカルを交えつつ繰り広げられる演奏で、一聴の価値(本当に一聴だけ)はある。

このときのコンサート。ピアノの準備が遅れたうえに、彼の体調も機嫌も芳しくなかったらしい。それが傑作を生んでしまうという皮肉。でも、ここに、彼のソロ・パフォーマンスの秘密が隠されていると思う。

日々のコンサートで、なんの準備もなく、いきなりピアノの前に座り、2時間近くも即興演奏をしていたら、神経がまいってしまうだろう。「もしも、いいアイディアも浮かんでこなかったらどうしよう」といった恐怖感もあるだろう。では、彼はどうしているか。たぶん、極めて大まかな設計図を用意しているように思う。

導入のメロディ、そこからどう展開するか、どこで終結するかは、あらかじめイメージされている。そのうえで、即興演奏を展開するのだが、彼の即興演奏もまた、厳密な意味での即興の部分は意外と少ないのではないか。無数のメロディの断片が彼の頭の中にインプットされている。そのデータベースにアクセスして、ぴったりのメロディを持ってくるという作業を繰り返しているような気がする。

彼の凄さは、そのデータベースに蓄積されているメロディの多彩さにある。クラシック的な響きをもったメロディ。フォークや世界各国の民族音楽のようなメロディ。ジャズ的な響き、スイング感をもったメロディ。ときにロック的なビート。そして、少し安っぽい、それゆえ大衆受けするスタンダード曲のようなメロディ。いろいろな引出しに、オリジナルな旋律がストックされている。即興の展開の先っぽに、新しく取り出したメロディを繋いでいく作業を続けているのだと思う。

ケルン・コンサートでは調子が悪かった。だから、即興によって湧いてくるイメージが乏しくて、取っておきのメロディをどんどんつなげていく結果になってしまった。それが、ジャズ初心者でもわかりやすい魅惑の演奏となって立ち現れたのであろう。

彼には、モーツァルトやバッハの名曲を演奏したアルバムがたくさんあるが、これが見事なくらいツマラナイ。フリードリッヒ・グルダというクラシックの名ピアニストがいる。彼は変わりもので、よくコンサートでジャズ(のようなもの)を演奏していた。これがまたあっけに取られるくらいツマラナイ。キースには、「クラシックとはこうでなければならない」という固定観念、グルダには「ジャズとはこういうものだろ」という固定観念が、必要以上につよく、それが型にはまった演奏になってしまい、われわれの期待を裏切るのである。

キースのソロ・パフォーマンスは、どれも同じに聴こえるのに、なんで何枚も持っているの?と思うかもしれないが、そうではない。これらの演奏を、机の端っこに置いてあるBOSEから流していると、びっくりするくらい素晴らしい旋律、躍動したリズムに出会うことがある。その出会う瞬間が、なんともジャズな雰囲気なのだ。


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