先生が語る大人の音楽

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エリック・ドルフィー「アット・ファイブ・スポット vol.1」

エリック・ドルフィー/アット・ファイブ・スポット vol.1

このアルバムは、私が敬愛するエリック・ドルフィーというジャズプレイヤーが、トランペット奏者のブッカー・リトルと双頭コンポを組んで、ジャズの名門ファイブスポットで録音したもの。第1集から第3集まで出ている。1961年の作品。

エリック・ドルフィーは、私が最も愛するサックス奏者である。コルトレーンよりもソニー・ロリンズよりも好きである。彼は、基本的にはサックス奏者だが、バスクラリネットやフルートに持ち替えて、超人的なプレイを繰り広げた。活動期間は、1958年から64年までのたったの6年間。この短い期間に、ほんの一瞬だけジャズに明るい希望の光を照らした人物である。

彼は、その短い人生の中で数多くの傑作アルバムを残しているが、最初に聴くべきなのは、このアルバムである。私は、このアルバムで、ハードロックやヘビメタよりもハードな音楽が世の中に存在していることを知った。最初の"Fire Waltz"を聴いてもらえば、その意味は理解してもらえるだろう。音が塊になって押し寄せてくる。パンクのような見せかけの怒りではない。沸々と湧き上がってくるような怒り。鬱積して爆発したような怒りが表現されている。ホントにハードな音楽というのは、こういうものを言うのである。

彼は、ブッカー・リトルとの双頭カルテットが気に入り、しばらくこのコンポで活動するつもりだったようだが、相棒のリトルが若くして急逝してしまい、かのジョン・コルトレーンのコンポに参加する。「ライブ・アット・ザ・ビレッジバンガード」というアルバムなどでその時期のドルフィーの演奏を聴くことができる。このアルバムを聴くと、「やっぱりコルトレーンの方が上かな?」と誰しもが思うだろう。しかし、それは間違いであることが、その後発売された全曲収録盤によって判明する。

そうなのである。実は、ライブにおいて、コルトレーンの演奏をドルフィーは完全に喰ってしまっていたのである。だから、このコンビは長続きしなかった。ボスのコルトレーンは、自分の演奏が優位に立ったものだけをピックアップして、アルバムを構成したのだった。それくらい、ドルフィーの演奏は、圧倒的な迫力と構成力に満ちていた。

彼のデビューは1958年で、すでに30歳になっていた。頑固オヤジを絵にかいたようなチャールス・ミンガスのコンポで活躍しながら、60年から61年にかけて、キラ星のような作品を発表する。「惑星(Outward Bound)」「アウト・ゼア」「ファー・クライ」「ミンガズ・プレゼンツ・ミンガス」「ブルースの真実」(オリバー・ネルソン)などなど、すべてが傑作である。

ドルフィーは、オーネット・コールマンの「フリー・ジャズ」というアルバムにも準リーダー格で参加しており、フリー・ジャズ奏者だと考えられているが、ちょっと違うように思う。彼の演奏には、テーマがあり、メロディがあり、楽理にのっとったアドリブがある。保守的なムードジャズでも、革新的なフリージャズでもない「第3の道」があったのではないかと、彼の演奏を聴くたびに思う。

1961年にヨーロッパの無名のプレイヤーと行ったライブ「ヨーロッパコンサートvol.1~vol.3」、1963年にまだ無名のハービー・ハンコックをピアニストに迎えて行ったライブ「イリノイ・コンサート」などを聴くと、けっしてオーネット・コールマンやアルバート・アイラーといったフリージャズ奏者にはない「やさしさ」「親しみやすさ」と「品のよさ」があることがわかると思う。

ドルフィーがヨーロッパへの死の旅に出発する直前に、名門ブルノートに1枚のアルバムを残していたのは、ファンにとってこの上ない喜びである。「アウト・トゥ・ランチ」というオシャレなタイトル。ドラムスを、マイルスコンポに参加していたトニー・ウィリアムスが叩き、フレディ・ハバード(トランペット)、ボビー・ハッチャーソン(ヴィブラホン)、リチャード・デイヴィス(ベース)といった新主流派と呼ばれる、当時最先端の演奏をしていたメンツを集めて収録したものである。宝石箱のようなアイディア満載の作品。これを最高傑作と言ってもいい。

そして、「ラスト・デイト」というアルバムが、彼の遺作である。持病の糖尿病が、ヨーロッパ講演中に悪化。処置が悪かったせいで、ドイツのベルリンで、不運な死を遂げる。享年36歳。人種問題が背景にあり、殺されたも同然という証言もある。このアルバムに収録されたセロニアス・モンク作の"Epistorophy"もぶっ飛ぶような激しい演奏だが、何よりも"You Don't Know What Love Is"が素晴らしい。フルートによる演奏だが、暗い闇の中を、何万羽もの蝶が月に向かってはばたいていくのが目に見えるよう。

このアルバムのラストには、彼が出演したラジオ番組での印象的な言葉が収められている。
"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again."
「音楽に耳を傾け、それが終わると、空中に消え去る。そして、けっしてそれを再びつかまえることはできない。」

早死にを惜しむジャズ・プレーヤーは、彼以外にもごまんといるが、彼ほど、「生きていればジャズはもう少しどうにかなっていたのではないか」と思わせる人物はいない。果てしない可能性を秘めたまま、ふらっと他の惑星に旅立ってしまった。

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ボブ・マーリー「レジェンド」

ボブ・マーリー/レジェンド

ジャケットの写真は、レゲエの巨人であり、最高のロック・アーティストでもあるボブ・マーリー。このアルバムは、中期から後期の傑作を集めたベストアルバムである。

私は、レゲエ・ミュージックの熱心な聴き手ではない。ロック視点で楽しめるボブ・マーリーとジミー・クリフぐらいしか聴かない。他の多くの音楽ファンと同じように、ボブ・マーリーでこの音楽の魅力を知り、何人かのアーティストの作品に手を出したが、単調なリズムは、正直言って、退屈で聴いていられない。それよりも、レゲエをロックフィールドで消化したポリスやマッドネスの方が楽しめる。

しかし、ボブ・マーリーは、私にとって特別な存在である。NHKの衛星放送で、晩年のライブ映像を観たことがあるが、そのとき感じた特別なカリスマ性は、ボブ・マーリー以外には3回しか体験したことのないものである。

ひとつは、(ちょっと恥ずかしいが)、山口百恵の引退コンサート。美空ひばりと同種の芸人としてのカリスマ性を感じた。次に、ボブ・ディランの昔の映像。フォークファンの前でエレキギターでロックをかまし、「ユダ!」(キリスト教の裏切り者の代名詞)と罵声を浴びせながら、"Like a Rolling Stone"をかましている姿。惚れ惚れした。それから、伝説の指揮者カルロス・クライバー。大鷲が今にも飛び立とうとするかのような雄々しい指揮姿で、ベートーベンの交響曲を演奏している姿。

ボブ・マーリーがライブで見せる姿は、別に偉ぶっているわけでも、観衆を煽るでもなく、ただただレゲエ独特のリズムに乗って、語りかけていく。その動きは無駄がなく、美しく、スタイリッシュなのである。ぜひ、ライブ映像で確認して欲しい。

んで、このアルバムには、至極の名曲が詰め込まれている。ボブ・マーリーを一躍有名にしたのは、"I Shot the Sheriff"。この曲。麻薬禍から復活したエリック・クラプトンがカバーしたシングルが大ヒットして、全米ナンバーワンに。クラプトンが、この曲にボブ・マーリーが込めた政治的メッセージに共感していたかは不明であるが、その作者であるボブ・マーリーに注目が集まり、知る人ぞ知る存在だった彼をスターダムに押し上げた功績は大きい。

この曲や"Get Up Stand Up"といった政治色が強く、民衆の蜂起を訴えかける曲も多い。ジャマイカ出身で、ジャマイカを愛し、ジャマイカを憂いでいた彼は、政治的な対立に巻き込まれていき、1976年に狙撃され、亡命を余儀なくされる。強力なレゲエのリズムに乗せて、巧みな言葉づかいを駆使しながら、強い正義心に裏付けられた強力なメッセージを伝えていく。その説得力は、フォーク時代のディランを凌ぐかもしれない。

でも、何より魅力的なのは、彼が包み込むような愛を表現したときであろう。自分的に最高傑作としてあげたいのが、"No Woman No Cry"。泣いている女性のかたわらに座り、「もう泣かないで。何もかもうまく行くさ」と語りかける。"Everything is gonna be alright"のリフレインを聴いているうちに、なんだか「そうなんだよね」という気分になってくるから不思議。慰められたい気分のときに聴くといい。

そして、遺作ともいえる"Redemption Song"。これは、ラストアルバムの「アップライジング」のラストに収録されている曲で、生ギターで演奏される。メッセージ性と慰め性が高度に融合した名曲。もはやレゲエのリズムも失われ、「この自由の歌を一緒に歌ってほしい。だって、俺が歌ってきた曲は、救いの歌だったんだから」という遺言めいたメッセージを切々と歌う。

ボブ・マーリーは、1981年、脳腫瘍で突然この世を去る。ジャマイカの英雄として、国葬された。たぶん、彼は若い音楽ファンに最も愛され続けている男じゃないだろうか。だって、亡くなって25年以上たっているのに、今も真夏に繁華街を歩くと、ボブ・マーリーの顔がプリントされたTシャツを着たヤツに、かならず一人は出会うだろう?

だんだん蒸し暑くなり、太陽がアスファルトをあぶり、かげろうが立つ季節になると、ボブ・マーリーのメジャー・デビュー・アルバム「キャッチ・ア・ファイアー」の"Concrete Jungle"を聴くことにしている。初期の尖がったサウンドの隙間から、すっと涼しい風を感じることができるからだ。

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スティービー・ワンダー「インナーヴィジョンズ」

スティービー・ワンダー/インナー・ビジョンズ

ジャケットの絵。よく見ると奇妙な絵であるが、1973年のスティービー・ワンダーの最高傑作「インナーヴィジョン」というアルバムである。

スティービー・ワンダーは、盲目のソウルシンガー。盲目のソウル・シンガーといえば、レイ・チャールズが思い浮かぶが、スティービーは、レイにあこがれ、10代そこそこでリトル・スティービー・ワンダーという名前でデビュー。ヒット曲を飛ばし続けてきた。

しかし、なんと言っても、彼の音楽上のピークは、1972年以降、アルバムプロデュースの実権を握り、自分のイメージするサウンドを表現できるようになってからである。この年の「トーキング・ブック」にはじまり、本作、次作の「フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ」、そして1976年発表の2枚組の「キー・オブ・ライフ」に至る作品群は、どれも歴史に残る大傑作である。

この時期のスティービーは、神がかっており、「才気」の凄味を感じさせるところがあった。特に、曲作りには、異常な天才性を感じさせた。ちょっとした才能あるアーティストでも絶対に作れないメロディラインを次々生み出していった。

たとえば、前作「トーキング・ブック」に収録された"You Are the Sunshine f My Life"。ヴォーカルのうまさも手伝って、美しい導入部から、なんとなく聴き惚れてしまい、いつの間にか曲が終わってしまうという感じだ。しかし、注意深く聴いてみると、”I fell like this is the beginning"から始まるサビのメロディは、絶対に普通はそう展開しない、かなり強引な展開である。しかも、うしろで鳴っているパーカッションやドラムのシンバルは、曲の雰囲気をぶち壊しかねないやけっぱちな叩き方をしている。

メロディ展開で最も凄いのは、「キー・オブ・ライフ」に収録された"Isn't She Lovely"と"Sir Duke"。ありえないメロディの連発。変態的なメロディを書くアーティストは、スティービー以外にもたくさんいるが、"Sir Duke"や"Sunshine~”などは、全米ナンバーワンになっている。つまり、最高のポップスとして成立している。こんな曲作りができるのは、他にはポール・マッカートニーくらいだろう。

そして、この「インナーヴィジョン」。実は、ここからは全米ナンバーワンヒットは生まれていない。"Living for the City"(汚れた街)が8位、"Higher Ground"が4位。当時の勢いからすれば、地味なアルバムと言えるかもしれない。しかし、アルバムのトータルな質から見たら、このピーク時の作品群にあっても、図抜けている。私は、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」とこの作品が、ソウルと言われていた時期のブラック・ミュージックが生み出した2大傑作だと思っている。

捨て曲なし。すべての曲が輝いている。"Too High"から、異常なテンションの高さで、スティービーの世界に引き込まれる。一見目立たない"Visions""Golden Lady""All in Love is Fair"、そしてラストの"He's Misstra Know-It-All"も、聴きこんでい見ると、味わい深く、あちこちに施されたサウンド上の仕掛け、メロディ上の仕掛けに驚かされる。

スティービー・ワンダーには、"I Just Called to Say I Love You"など、シングルヒット曲も多いので、ベスト盤を買ってしまいがちであるが、絶対にアルバムを通しで聴くべきアーティストである。アルバムの配列、サウンドの色彩感、明るい曲・シリアスな曲、など緻密に計算して曲を並べている。一説によると、彼は、アルバム用に毎回100曲近く用意し、その中から極選していたらしい。当時、彼がアルバムコンセプトに合わないと判断してポイッと捨ててしまった曲にお宝があるかもしれない。

私は、"We Are the World"以降、これに参加した黒人アーティストが堕落した説という失礼な説を唱えている。1985年、ボブ・ゲルドフのライヴ・エイドに触発され、アフリカの貧困を救おうと、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーを中心に、スターアーティストが集結、"We Are the World"という曲を収録する。とてもよくできた曲で、ナンバーワンヒットを記録し、グラミー賞を受賞する。

しかし、もともと下降気味であったライオネル・リッチーはともかく、マイケル・ジャクソンの様子がおかしくなり、スティービー・ワンダーからもかつての才気とテンションが失われていく。ボブ・ディラン(なぜ参加したのか不思議)やブルース・スプリングスティーンは、相変わらずのペースで仕事をしていったが、明らかに黒人アーティストが作品に込めるエネルギーの総量が減ったような気がする。

そして、私にとっての暗黒時代である「ラップ」の時代が始まる。私がこのトンネルを抜け出すのは、だいぶ後になってから。ラップをロック的ボキャブラリーで消化することに成功したレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、逆にラップをつきつめ、ヒップホップの比類ないカッコよさを教えてくれたパブリック・エネミーと出会うまで、ブラック・ミュージックは、私の音楽生活にとって無縁な存在になってしまった。



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