先生が語る大人の音楽

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ロッド・スチュアート「アトランティック・クロっシング」

ロッド・スチュアート/アトランティック・クロッシング
この派手派手しいジャケットは、ロッド・スチュアートというイギリス最高のロックボーカリストの作品である。

今の若いリスナーで、ロッド・スチュアートという人を知っている人はいるのだろうか? 知っている人がいても、スタンダードナンバーを歌い続けているオジサンとしてのイメージしかないのではないのか。はっきり言ってしまおう。ロッド・スチュアートは、かつて、ストーンズのミック・ジャガー、ヴァン・モリソンに匹敵する名ボーカリストとして名を馳せたロック界の最重要人物なのである。

彼は、1回前に取り上げたトム・ウェイツ同様、いや、それ以上のシワガレ声である。酒の飲みすぎで声を潰したともいわれる。しかし、そのシワガレ声で繰り出される力強いシャウトは、ロックボーカリストの規範となった。

彼は、18歳から音楽活動をはじめ、いくつかのバンドを渡り歩いた後、21歳の時にジェフ・ベックのグループに加入する。そこで完成されたバンドフォーマット、つまりボーカリストは基本的に歌に専念。ギタリストは、ひとりでガンガン弾きまくるという演奏パターンは、レッド・ツェッペリンのモデルになったもので、事実、当時のジェフ・ベック・グループのレパートリーとツェッペリンの初期のレパートリーは重なる部分が大きい。もっとはっきり言ってしまうと、ツェッペリンは、ジェフ・ベック・グループのコピーバンドとしてスタートしたのである。

このバンドがもう少し続いていたら、ロック史に残る名盤を次々と生み出していったと思うが、ジェフ・ベックにバンド運営能力はなく、音楽上の意見の対立からロッドはあっさりと脱退。スモール・フェイセス(のちにフェイセスに改名)をロン・ウッドと結成する。ロン・ウッドは、のちにセカンド・ギタリストとして、ストーンズに参加する。このフェイセスは、商業的にも成功し、ロッドは、イギリスの女の子たちのアイドルになる。

フェイセスと並行してソロ活動も展開。いい曲を見つけてきては、せっせとソロアルバムの方に録音していた。バンドのアルバムを手抜きしているとの非難を浴びてしまい、フェイセスの人気が絶頂だったにもかかわらず、バンド脱退を余儀なくされる。そして、「ガソリン・アレイ」「エヴリィ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」といった名作アルバムを発表する。ボブ・ディラン、エルトン・ジョンから、モータウンのR&Bグループの曲など、卓越した選曲眼で、自分の声質にあった曲を見つけてきていた。

「エヴリィ~」に入っていた"Maggie May"は、英・米の両方のチャートでナンバーワンヒットを記録した。これを機に、大西洋を渡り、巨大マーケットであるアメリカに拠点を移して活動することを決断する。そして、発表されたのが「アトランティック・クロッシング」である。

実は、このアルバム。CDでは魅力が伝わらないかもしれない。LPの頃は、A面がファーストサイド、B面がスローサイドとなっていて、私は、ひたすらスローサイドを聴いていた。しかし、CDでは、そのままかけると、ファーストサイドが始まってしまう。

このアルバムのスローサイド。キング・クリムゾンのファーストのA面、ビートルズの「アビー・ロード」のB面と並んで、アルバムの1面単位においては、私の中ではベストスリーに入るほど気に入っている。1曲目は、エヴリシング・バット・ザ・ガールもカバーした名曲"I Don't Wanna Talk About It"。「もう話したくない」という邦訳はどうにかして欲しいが、これはスゴイ名唱。

ロッドは、シワガレ声ではあるが、特にスローな曲を歌った時に、歌詞の意味が直接心に突き刺さってくる印象を受ける。言葉を大切に大切に歌っているのだ。絶対に寝起きに聴いてはいけない音楽。寝る前に部屋を暗くしてしみじみと聴いてください。

2曲目は、"It's Not the Spotlight"。夜の雰囲気がよく出ている。シワガレているが、老人の声ではなく、何か甘酸っぱい青春のイメージを持たせる声。3曲目は、"This Old Heart of Mine"。アイズレー・ブラザースの名曲。ロッドは、"Twisting the Night Away"など、ソウル系のメロディアスな曲を歌わせると絶品。

4曲目、朴訥としたラブソング"I Still Love You"を経て、最後に壮大なスケールの"Sailing"。この曲もカバーだが、ロッドのこれが決定版。武道館に観にいったライブでも、この曲がラストナンバーで演奏された。これを聴いて感動しない人は、たぶん感性が鈍いのだろう。高校時代カセットテープにお気に入りの曲を編集して、ウォークマンで聴いていたが、キング・クリムゾンの壮麗な"Epitaph"がフェイドアウトしていった後に、光がさっと差し込むようなイントロをもったこの"Sailing"をラストに持ってくるというパターンが好きだった。

この後に発表した「ナイト・オン・ザ・タウン」「明日へのキックオフ」も同程度の名盤。その後、だんだんとパワーダウンしていく。考えたら、彼は1945年生まれだから、もう63歳。スタンダードも歌いたくなるわな。まだまだ、スタンダードシンガーとしては、フランク・シナトラの足元にも及ばないが、いつか小さなホールで、彼の歌をじっくりと聴いてみたいと思う。

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トム・ウェイツ「レイン・ドッグス」

レイン・ドッグストム・ウェイツ/
このジャケットは、世紀のだみ声男、「酔いどれ詩人」ことトム・ウェイツの「レイン・ドッグス」。彼の最高傑作だと言われているが、彼の場合、何が最高傑作かというのはあんまり関係ない。彼の存在こそ、傑作なのである。

彼の魅力にはまったのは、30代に入ってから。特に、音楽史に偉業を残したわけではない。世紀の大傑作を残したわけではない。90年代に入って、グラミー賞なんかを受賞しちゃったりするが、爆発的に売れた経験もない。

リスナーである私たちとシンガーソングライターの関係には、大きく分けて3つのパターンがあると思う。

まず、あこがれ型。「そんな曲、絶対にできない」といった感じで、自分には到底なしえないレベルの作品を堪能する。たとえば、ボブ・ディラン。豊富なボキャブラリー、そこから言葉を選び取ってくるセンス、その言葉をリズムに乗せて歌うボーカル。どれをとっても凄すぎる。このように、アーティストに対して、やや下から上目づかいな目線。

次に、寄り添い型。「そうだよね」「その気持ちよく分かる」といった感じで、アーティスト、あるいは彼が書いた曲の主人公の悩みや悲しみを共有する。たとえば、ひとつ前のブログで取り上げたジャクソン・ブラウン。自分を投影して、アーティストを慰め、慰められる。同じ目線。

それから、「なんでこんな奴と」型。自分とまったく違うタイプ。全然違う生き方、人生観。性格も違う、というより、あまり好きではない。でも、何か引っかかる。うっとうしいと思いつつ、誘われると付き合って一緒に過ごしてしまう。そんな友達のような存在。 その典型がアーティストがトム・ウェイツである。

彼の酔いどれソング。酒が弱い私にはわからない。たぶん、近くにこんなオヤジがいたら敬遠して付き合わないだろう。でも、CDだと、酒臭い息を吹きかけられないし、ちょっと付き合ってみようという気になる。彼のつぶやき、愚痴、ホラ、意味のない叫びを聞いてやろうという気がする。

どうしてそんな気になるのか、わからない。彼の作り出すサウンドに、ヒントがあるような気がする。彼は、格好つけて、自分のリスペクトするアーティストとして、ジェームス・ブラウン、ボブ・ディラン、ライトニン・ホプキンス、セロニアス・モンクなどを挙げている。これは、私の好みと完全に一致する。

すべてを台無しにしてしまいそうな彼のだみ声。その裏で、おシャレでムーディなジャズピアノの調べが聞こえたり、ブルースギターが掻きならされていたりする。彼のデビュー作「クロージング・タイム」のジャケットのような雰囲気。場末の酒場で、売れないピアニストが誰も聞いていない店で、絶望の歌をがなっている。そんな絵が浮かぶ。

この「レイン・ドッグス」に収められた曲は、すべてが最高だ。特に、"Hang Down Your Head"は、ミュージカルナンバーのように、感動的。メロディアスで、彼の珍しく毅然としたボーカルを聴くことができる。"Down Town Train"は、ロッド・スチュアートにもカバーされた名曲。その印税で「息子のために裏庭にプールを作ることができた」とインタビューで答えたと言われる。もちろん皮肉。

彼の作品を聴いていると、すべてにおおざっぱでいい加減な人間に思える。しかし、実は、訴訟好き。今はやりのクレーマーでもある。スペインの自動車会社が彼に似た曲を彼に似せたものまねの歌で流していた。それを聞きつけた彼は激怒。損害賠償訴訟を起こし、見事に勝訴している。

トム・ウェイツのボーカルスタイルの影響は、実はかなり広い範囲に及んでいる。たとえば、サザンの桑田圭祐は、絶対に彼のボーカルの影響を受けている。音程が正確に取れず、声量もないボーカリストが味を出して歌うのに、彼のスタイルは、最高のメソッドかもしれない。

「レイン・ドッグス」以外にも「クロージング・タイム」「土曜日の夜」と「Swordfishtrombones」などは、絶対に聞いておくべき名盤。ただし、たぶんどれも同じに聞こえる。

それでも、彼の毒に侵されたらもうオシマイ。しばらく聴かないでいると、彼のぐちゃぐちゃボーカルが妙に懐かしくなり、「なんだろうねぇ、この変な歌...」と首をかしげながら、彼のボーカルに身をゆだねることになる。


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ジャクソン・ブラウン「プリテンダー」

ジャクソン・ブラウン/プリテンダー
このジャケット、わかりにくいかもしれないが、写真の真ん中で白いTシャツを着て、ぶらっとした風情で歩いているのが、私の大学時代のアイドル、ウェストコーストのシンガーソングライター、ジャクソン・ブラウン。アルバムは、1975年に発表された「プリテンダー」

この夏休み。長年愛用したCDウォークマンの調子が悪くなり、ついにi-podを購入することを決意。このi-podで、夏休み中、遊ばせてもらった。20000曲記憶可能な80GBの容量。これでも、私のCDコレクションのごく一部しか入らない。何を入れようかと「ノアの方舟」のように、CDを1枚1枚取り出しては選択していった。

その過程で、CDの山から、ジャクソン・ブラウンの作品を何枚か久々に「発掘」した。正直、この10年間、彼のアルバムを聴いていなかった。久しぶりに、机の上にあるBOSEにCDを突っ込んで、彼の作品をかけてみた。いっぺんに、暗いアパートでひとり聴いていたメロディが部屋を満たし、傷つきやすくて多感な大学時代にタイムスリップした。

ジャクソン・ブラウンの名前が一躍有名になったのは、イーグルスのデビュー曲”Take It Easy”の作者としてである。そのあと、自作アルバムを発表しだし、次第にヒットチャートにも顔を出すようになる。サウンドは、ウェストコーストサウンド。ちょっとカントリーがかっていて、美しいハーモニー。そこに、切なさ。そう、彼の曲を一言で表現しろと言われたら、「切なさ」という言葉がいちばんぴったりとくる。

最初の傑作は、「レイト・フォー・ザ・スカイ」。私と同じ世代のアメリカ人で、このアルバムを聴いて、青春時代の思い出し、目がウルウルしてしまう人がたくさんいるに違いない。つまり、時代のアンセムなのである。夜のハイウェイをバイクで突っ走るブルース・スプリングシティーンのように、荒々しく、ボス的でマッチョではない。とても繊細で、スポーツよりも本や映画が好きな文系タイプ。

将来への漠然とした不安。「人生とは何か」といった哲学的な問い。社会の中に居場所を見つけることができない「いらだち」。そういったナイーブな若者の内面を、繊細なボーカルに乗せて表現してくれた。次作「プリテンダー」の録音中に、妻が自殺してしまう。その暗い影が、たしかにこのアルバムには満ちている。

しかし、絶望よりは希望、責めよりは慈しみ、後悔よりは慰めを、ここから聴きとることができる。サウンドのキーマンは、ギターの名手のデビッド・リンドレー。彼のギターサウンドが、ジャクソン・ブラウンのボーカルにそっと寄り添う。特に、"Here Come Those Tears Again"は、最高。ちなみに、この曲のシチュエーションをパクッたのがオフコースの「眠れる夜」。

そのあとに発表した「孤独なランナー」(原題は、"Running On Empty")。変則ライブアルバムで、これも胸キュンの傑作。そして、私にとっての最終作「ホールド・アウト」。タイトル曲は、今聴いても、昔の彼女の写真を卒業アルバムで見てしまったときのように心臓の鼓動が早まる。

そのあと、彼の誠実さは、社会の不正の告発に向かう。反原発運動などにまい進し、曲のテーマも、自分の周り半径10メートルから、広く広く社会問題に拡大していく。彼にとっては、その方向性は必然だったのだろうけれど、私のリスナーとしての期待とはかけ離れてしまい、酔いどれ男トム・ウェイツに関心が移ってしまった。

以後、彼の作品は、私のCDラックの奥底に眠ることになったが、このたび、長い眠りから覚めて、i-podの中でひっそりと呼吸を始めた。

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ハービー・ハンコック「スピーク・ライク・ア・チャイルド」

ハービー・ハンコック/スピーク・ライク・ア・チャイルド
完璧なジャケット。ブルーノートというレーベルには、すばらしいジャケットデザインがたくさんあるが、その中でも最も大好きな作品である。そっとキスをしている二人は、ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコックとその奥さんである。

ハービー・ハンコックは、私がはじめてライブで実体験したジャズプレーヤーである。当時、ジャズの魅力にハマりたてのいたいけな大学院生で、お金が全然ないころ。東京の青山に「ブルーノート」というジャズライブ専門のスポットがあって、そこに彼を見に行った。

私は、マイルス・デイヴィスのコンポにいた頃から、彼のリリカルなピアノが大好きで、在団時および直後に、ブルーノートに残した作品を特に愛していた。彼のリリカルなピアノをこの耳で聴けるものと期待していた。ところが、私がブルーノート東京で聴いたライブでは、その半分がピアニカくらいの大きさのヘンなキーボードをプカプカ鳴らせるものだった。

ということで、高いお金を払ったのに、とガッカリして帰った記憶がある。しかーし。昔の彼はすごかった。マイルスのバンドに入団する前にエリック・ドルフィーと共演したイリノイライブは、ハードバップの先に横たわる新しいジャズの姿に光を照らすものだったと思う。

何より、マイルス・デイヴィスの下、ウェイン・ショーター(サックス)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)との黄金カルテットで繰り広げた演奏は、どれもこれも文句のつけようのない傑作ばかり。特に、アルバム「マイ・ファニー・バレンタイン」というライブアルバムでの緊張感張り詰めるピアノソロ、「プラグド・ニッケル」における超前衛的なフリージャズ、「ネフェルティティ」におけるシングルトーンの魔術的なソロなどは、天才のみがなしうる業(わざ)である。

当時、彼がブルーノートに残した「スピーク・ライク・ア・チャイルド」は、画期的というか、ある意味、非ジャズ的で不遜な試みが行われている。3管のホーンセクションとピアノトリオなのだが、普通ホーン奏者は、ピアノトリオの伴奏で、順番に即興演奏を繰り広げていく。ところが、このアルバムでは逆。なんと、ホーンにはまったくアドリブを許さず、ソロを繰り広げるのは、ピアノやベース。ホーンが伴奏に徹している。

それ以降、同じ試みが定着しなかったところを見ると、これはジャズマンの生理に反するものだったにちがいない。あまりに造りこまれていて、ジャズ的なスリリングさが失われているともいえる。しかし、室内楽のような演奏の中に、緊張と弛緩の繰り返しによる、クラシックのピアニスト、グレン・グールドも演奏を聴いているようなスリルを感じることができる。カリスマ性によってバンドサウンドを支配するマイルスを意識しつつ、それをシステムによって実現しようとしたに違いない。

ハービー・ハンコックは、このアルバム以外にも、ブルーノートに「処女航海」という傑作を残している。これは、マイルスが「カインド・オブ・ブルー」で完成させたモード奏法を発展させた新主流派としての面目躍如の作品。「処女航海」から「アイ・オブ・ザ・ハリケーン」「ドルフィン・ダンス」などなど、1曲1曲も、名曲・名演奏なのだが、それよりも、アルバム全体がひとつのストーリーを構成しており、航海をスケッチした「コンセプトアルバム」になっている。

だから、このアルバムにしても、「スピーク・ライク・ア・チャイルド」にしても、アルバム全体を通して聴くと、ハービーの狙いがわかってくる。このことからもわかるように、彼は、ピアノのテクニックもさることながら、頭がよく、アイディアマンである。

この頭の良さが、のちにはビジネスに生かされる。彼は、たぶんお金の面で、マイルスをしのぐほどの稼ぎをたたき出した成功者である。彼は、聴衆のニーズを敏感にリサーチして、そのニーズに応えた作品を発表していく。

フュージョンがはやると、ファンキーなサウンドに乗せて「フューチャー・ショック」などのアルバムを発表し、大ヒット。かと思えば、例の黄金カルテットのマイルスをフレディ・ハバードに代え、あとはロン・カーター、トニー、ウェイン・ショーターのメンツで、V.S.O.Pというバンドを作り、世界ツアー。マイルスが亡くなれば、追悼アルバムでひと儲け。

この書き方でわかるように、(ブルーノート東京のときのトラウマか?)、ハービー・ハンコックの最近の音楽的姿勢には、首をかしげることが多い。でも、レコード、CDというメディアの素晴らしいところは、彼の才気が最も輝いていた頃。マイルスの睨みにおびえながら、一心不乱にイマジネーションを発揮して演奏していた頃。そんな時代にタイムスリップして、あたかも同じ空気をすっているかのような気分を味わうことができる点である。

「スピーク・ライク・ア・チャイルド」でのジャズに挑むかのような傲慢な若々しさが懐かしい。

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