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ヴァレリー・アファナシエフ「シューベルト最後の3つのピアノソナタ」

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これからしばらく、クラシックを取り上げるときには、ピアニストについて語ろうと思う、二人目は、ヴァレリー・アファナシエフ。幸か不幸か、ここに掲げたジャケットには顔が写っていないが、ナマハゲみたいな風貌を思い浮かべて欲しい。

アファナシエフの演奏の特徴を一言で表現するのは簡単である。「超スロー」である。どの曲も、普通のピアニストが弾いた時の1.5倍から2倍以上の時間がかかる。ここに紹介したディスクに収録されているシューベルトのピアノソナタ21番は、第1楽章だけで30分近く要している。

では、チンタラ弾いているのかというと、そうではない。ひとつひとつの音が研ぎ澄まされ、ひとつひとつのフレーズが考え抜かれており、そこに込められている情報量は異常に多い。彼の弾いたムソルグスキーの「展覧会の絵」。BGMとして流していても、最後の「キエフの大門」が終わると、なぜかぐったりしてしまうほどである。

彼が注目されるきっかけとなったのは、ブラームスの後期ピアノ作品集。あのつまらないブラームスのピアノ曲の魅力を十二分に引き出し、哲学者?浅田彰に激賞された。そのほか、シューマンの「クライスレリアーナ」、バッハの「平均律クラヴィーア集」、リストのピアノソナタ、ベートーベンの最後のソナタ集などが特にお勧め。

グールドは、バッハにこだわり、モーツアルトとベートーベンも嫌いだとは言いながらソナタを全曲録音したが、アファナシエフはコンプリートには関心がなく、特定の作曲家の特定の曲に取り組む。彼は文学者カフカに傾倒しており、難解な小説もいくつか書いているし、ステージで劇を行うこともあるらしい。たぶん、純粋に楽譜の音符の列から音楽を作り出すのではなく、その作者が置かれていた状況、心理的な葛藤などを、司馬遼太郎がよくするように勝手に想像して、音楽を生み出す。

通常、クラシック音楽で重要視されるのは、「作曲家がどのような意図をもっていたのか」「どのような音楽にしたかったか」である。しかし、アファナシエフがこだわるのは、楽譜の底の方に沈澱している真実であり、それはおそらく作曲者本人も意識していないで書いた部分である。

紹介したディスクは、シューベルトが残した最後の3つのピアノソナタ(19番~21番)。どれも難曲として知られている。難曲には2つのタイプがある。ひとつは技術的に弾くのが難しいという意味で、もうひとつは音楽的に聴かせるのが難しいという意味である。このソナタは、明らかに後者である。凡庸なピアニストが弾くと、ただただ同じようなメロディーが繰り返されるだけのつまらない曲になってしまう。

クラシック音楽では、曲を全体としてまとまったものに見せるためのテクニックとして「ソナタ形式」というものを発展させてきた。この形式では、まず、主テーマと、それとはなるべくタイプの違った第2テーマが提示される。そして、主テーマ、第2テーマがそれぞれ変化しながら入れ替わり立ち替わりあらわれ、理想のフィナーレとしては、この2つのテーマが融合して、素晴らしいメロディになって終わるというものである。

いうまでもなく、西洋の二元論に基づく弁証法の考え方。対立と緊張から素晴らしいものが生まれるという西洋的理想を表現している。クラシック音楽を聴くときは、このソナタ形式を意識すると、作曲者の作曲技法、その苦心の跡がわかって、より深く楽しめる。

ところが、このシューベルトのピアノソナタ。ソナタとは言いながら、この形式がメチャクチャへたっぴーなのである。テーマは展開しない。次から次へと美しいメロディが唐突に現われては消えていく。アファナシエフの演奏を聴くまで、シューベルトのピアノソナタは、はっきり駄作だと思っていた。でも、アファナシエフに騙されているのかもしれないが、今は彼のピアノソナタはスゴイ曲だと思っている。

シューベルトのピアノソナタは、人間の頭の中の「想念」なのである。電車の中でも会議中でも授業中でも、人間はいろいろなことを頭の中で考える。それはとりとめもない。どんどん違う方向に考えは流れていき、ときにもとの考えに戻ってくるが、また次の考えに移っていく。誰でも日常的に行っている思考のプロセスをシューベルトは表現したのではないか。それは、ヨーロッパ近代思想、弁証法が目指すような、全体を奇麗にまとめていくという統合の方向ではなく、バラバラのものをバラバラのまま受け入れるというポストモダンな考え方に基づくものなのではないか。

しかも、アファナシエフの演奏でわかるのは、そのシューベルトの想念の中に、「死の影」が付きまとっていることである。シューベルトがこのピアノソナタを書いたとき、すでに死期が迫っていた。しかし、普通に演奏すると、これらの曲には暗い部分は見当たらず、美しいメロディばかりが目立つ。しかし、彼の演奏を味わうと、美しいメロディとメロディの間に、時々信じられないほどの不協和音が挿入されていることがわかる。

だから、アファナシエフによるシューベルトには、「死の匂い」が漂っている。実は、彼が演奏したモーツァルトの幻想曲も同じものが表現されている。キング・クリムゾンが'Starless and Bible Black'と表現した底なしの暗黒に首をのばして覗き込んでいるシューベルトやモーツァルトの姿が見えるようだ。

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コメント


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勉強することが多いです。

>アファナシエフによるシューベルトには、「死の匂い」が漂っている。

アファナシエフが演奏することで、シューベルトの亡霊がでてきそうな感じですね。

死期をシューベルトが悟っていたかどうかはわかりませんが、その後死ぬという事実を知っているアファナシエフは、どうしてもそのように演奏することを意識して演奏したんですかね。

クラシックは難しいですね。
学ぶことがたくさんあります。

いとう | URL | 2007年07月29日(Sun)01:55 [EDIT]


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| | 2016年12月21日(Wed)19:56 [EDIT]


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久石譲 ENCORE

沢山良い曲が入っています。ピアノを少しは弾ける方なら、練習すればすぐに弾けるようになる曲もあります。また、久石さんの曲は、誰かが編曲してしまっていることが多く、頑張って練習しても、自分が想像してる曲と全然違っていたり、本来の久石さんの曲が台無しになってい

はるかの記録 2007年09月27日(Thu) 01:15


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