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ジョン・コルトレーン「マイ・フェイヴァリット・シングス」

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ジャケットの写真は、マイルス・デイヴィスと並ぶジャスの巨人、ジョン・コルトレーン。吹いているのは、ソプラノ・サックス。

コルトレーンの代表作としてまず挙げられるのが「至上の愛」、次はたぶん「ジャイアント・ステップス」くらいか。しかし、私は「至上の愛」をどうしても好きになれない。それよりも、「静かなるケニー」と一緒に聴いた最初のジャズレコード「バラード」、デューク・エリントンやジョニー・ハートマンとの共演盤、ブルーノートに唯一残した名盤「ブルー・トレイン」などをよく聴く。

ある世代にとって、コルトレーンを聴くというのは、他のジャズ・プレイヤーを聴くのとは、ちょっと違った特別な意味を持っている。時代は1960年代。アメリカも日本も政治的に暑い季節だった。その危うい時代の空気の中で鳴り響いていたのがコルトレーンの野太いサックスである。若者の鬱屈した感情とシンクロしながら、コルトレーンのヤバい音はジャズ喫茶の暗い空間を支配していたのである。

だから、私のような世代には、「至上の愛」のような「時代と寝た音楽」の本当の魅力は理解できないと思う。その私が大学生だったころ、四畳半のアパートで部屋を暗くして流していた音楽。その当時の空気を呼び起こす音楽として、一番大切なアルバムがこの「マイ・フェイヴァリット・シングス」である。

1960年に発表されたこのアルバム。いろいろな意味で、コルトレーンのターニングポイントとなった。まず、テナー・サックス奏者の旗手として頭角を現してきたコルトレーンがソプラノ・サックスで吹き込んだ初めてのアルバム。そして、何よりも「マイ・フェイヴァリット・シングス」を初めて演奏したアルバムとして、ジャズ史に名を刻んでいる。

その後、この曲を彼は死ぬまで毎晩のように演奏し続けた。ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌。映画化される前、ブロードウェイにかかっていた頃に、ある人から紹介され、そのメロディが気に入り、演奏するようになったという。音楽評論家の中山康樹は、その人がコルトレーンに「ド・レ・ミの歌」を紹介しなくて良かったと書いている。たしかに、コルトレーンならば「ドーはドーナツのドーッ」と、もの凄いトーンで演奏し続けたに違いなく、それを考えるとゾッとする。

この曲を慣れないソプラノ・サックスでヨレヨレしながら吹くコルトレーンが愛らしい。演奏としては、後の「セルフネス」というアルバムに収録されているものや、「ライブ・トレーン」という7枚組のアルバムに収録されているエリック・ドルフィーと共演したもの(個人的にはこれが一番好き)、日本公演での1時間近い演奏などなど、もっと優れたものが多い。でも、ヒラヒラと蝶のように音が舞い(音程が取り切れてないからだが)、それをマッコイ・タイナーのリリカルなピアノがサポートするという形は、スリリングであるし、帰ることのできない私の時代を呼び起こすツールとして機能し続けている。

コルトレーンの後期の演奏は、命を削るような演奏だった。日本でのライブなどを聴くと、毎晩のようにこんな演奏をしていたら、命が持つはずないと思う。まさに鶴の恩返しの機織り状態。彼は、人生を全力疾走で駆け抜け、1967年、40歳でこの世を去っている。生き急ぎの典型。

彼は、「ジャイアント・ステップス」でシーツ・オブ・サウンドという演奏スタイルを確立する。ピアノは、1回に複数の音を出せるし、次のストロークで別のコードに移ることができるので、かなり自由な即興演奏が可能になる。そのようなピアノに特権的なジャズ演奏を、サックスの特性を生かしながら実現しようというのが彼の野望なのであった。音を果てしなく細分化して、音の素早い連なりで聴かせることで、あたかも複数の音がなっているような印象を与え、頻繁なコードチェンジを行いながら演奏を続けるというのが、シーツ・オブ・サウンドの方法論である。

そんな方法論に基づいて、コルトレーンは、延々と気がすむまでアドリブを展開していた。毎日同じ演奏を繰り返すのを好まず、常に前進あるのみ。ひたすら努力に努力を重ねていく。たぶん自分の演奏に満足したことがなかった人だったと思う。

そんなコワオモテな印象の強いコルトレーンだが、アルバムではプロデューサーの意向もあって、歌心をもった演奏も繰り広げていた。特に、マッコイ・タイナー(ピアノ)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)、ジミー・ギャリソン(ベース)の黄金カルテットを結成した前後が、今の耳で聴いて、最も魅力的なワンホーンのジャズを残していたような気がする。

やがて、彼は「アセンション」に代表されるようなフリージャズに向かう。私はこの時代のコルトレーンには全く興味がない。最晩年の彼は、ライブでは相変わらず激しい演奏をしつつ、アルバムでは「静謐」という表現がぴったりのサウンドに辿りつきつつあった。残された時間があまりに短かったのは残念である。

彼は、マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクのバンドに籍を置き、ジャズのエッセンスを吸収し、イモプレーヤーと揶揄されながら、たゆまぬ努力で腕を磨き、いつの間にか後進のすべてのサックス奏者に影響を与えるジャズ・ジャイアントになった。彼が生みだした音楽というか、彼の体から放出されるエネルギーが、同時代人に及ぼしたインパクトは、はかり知れず、明らかにマイルスを凌駕していた。でも、音楽的な視点でとらえると、やっぱり師匠であるマイルスを超えることはできなかったように思う。

そんなことに思いを馳せながら、歴史的な演奏「マイ・フェイヴァリット・シングス」の後にひっそりと置かれた「エヴリタイム・ウィ・セイ・グッドバイ」に耳を傾けている。なんでもない曲、弛緩した演奏なのに、なぜか心を打つ。
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