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ボブ・ディラン「フリーホイーリン」

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ジャケットに写っているのは、ボブ・ディランと当時の恋人スージー・ロトロ。かの「風に吹かれて」が収録されているディランのセカンドアルバム「フリーホイーリン」。

ディランのアルバムのジャケットには、悲しくなるほどお粗末なものが多い。しかし、このジャケットは、すべてのロックアルバムの中で一番好きと言っちゃってもいいほど、お気に入りである。寒い寒いニューヨークの街を腕を組んで、幸せそうに歩くふたり。高校時代、このアルバムのLPを眺めながら、いつかこんな風に恋人と歩きたいなと、溜息をついたものである。

ロックミュージックの歌詞を文学・芸術の域まで高めた男。フォークロックというフォーミュラを生み出し、すべてのミュージシャンに影響を与え続けている男(彼が現われなかったら、ミスチルもスピッツもいなかった)。老境にはいったはずの今でも(1941年生まれ)、超傑作を生み出し続ける男。私と誕生日が同じな男(5月24日)。

ビートルズは、ロックバンドとして超越した存在だったが、ビートル(単数)としては、ディランには遠く及ばない。おそらく、ひとりのミュージシャンとしては、ロック史上最重要の人物だと思う。次々と語りたいことがあふれ出てくるので、何回かに分けて書いていきたい。

今回は、プロテストシンガーとしてのディラン。ミネソタ大学時代から、ピート・シーガーやウディ・ガスリーといったフォークシンガーにあこがれ、彼らの歌をコーヒーハウスで歌うようになる。20歳の冬にニューヨークのグリニッジビレッジへ。62年、「ボブ・ディラン」というタイトルのアルバムでデビュー。そのあと、しだいにフォークの旗手として注目を集め、ヒーローになっていく。

デビューアルバムは、オリジナルがたった2曲で、後はすべてカバー。ハーモニカとギターの技量にはすごいものがあるが、アルバム自体の魅力はそれほど感じない。彼がフォークシンガーとして注目を浴びるようになったのは、やはりこのアルバムに収められている「風に吹かれて」がピーター・ポール・アンド・マリー(PPM)というフォークトリオに取り上げられ、大ヒットしてからである。

このアルバムには、「風に吹かれて」以外にも「北国の少女」「戦争の親玉」「はげしい雨が降る」「くよくよするなよ」といった傑作が収められている。それ以外にも、たくさんの反戦歌が収録されている。

私がはじめて聴いたディランの曲は、「風に吹かれて」。そのとき抱いた印象は、「これが反戦歌か?」というものだった。「白い鳩は、いくつの海を越えていかなければならないのだろう。砂の上で眠りにつくまで」「砲丸は、いくつ飛び交わなければならないのだろう。それらが全面的に禁止されるまで」といったように問いかけておいて、「答は、風の中。風の中に吹かれている」。なんて突き放した答え。

ディランは、もっと直截的に戦争や人種差別に反対する歌を作っているが、私は、この曲の中にこそ彼の本質が隠れていると思う。彼は、唄うのが好きで、とにかく自分の歌をみんなに聴いてもらいたかった。当時、反戦歌を歌うと、みんなが真剣に聴いてくれた。だから、一生懸命、反戦歌を作り、ステージで聴衆に訴えかけた。それがあまりに素晴らしく、説得力に溢れていたので、彼はフォークのプリンスとして名をあげてしまったのではないか。

彼は、プロテストシンガーではあるが、反戦運動家ではない。社会の不正に怒り、社会の不正義に反抗する人たちに寄り添って、彼らを応援する感動的な歌をたくさん生み出してきたが、自分が反戦運動のリーダーとして祭り上げられようとしたとき、「それはごめんだ」と拒否する。そして、もっと魅力的な世界、より多くの観衆が喜んで聞いてくれるロックという音楽を発見したとき、彼はさっさとそちらの世界に踏み込んでいったのである。

彼のあの特徴的なボーカルスタイルも、そのような意識から生み出されたものである。彼は、自然とあのような歌い方をするようになったのではなく、プロテストシンガーとして、怒りを表現し、歌詞の内容が聴衆に伝わりやすい歌い方を考えて、意図的にあのように歌っているのである。彼が多彩な歌い手であることは、後に「ナッシュビル・スカイライン」というアルバムで、ノッペリとしたボーカルを披露して明らかになり、ファンを戸惑わせる。

ディランには、あり余る才能があった。まず、作詞の能力。当時の誰も足元にも及ばないほどの語彙、言葉の選択能力、それに基づく暗喩や思わせぶりな幻想的表現。彼は、歌詞の世界を詩の世界に変えていった。

意外と知られていないのは、彼のメロディメーカーとしての才能。ディランの初期の歌の多くは、PPMのほか、バーズなどに取り上げられ、大ヒット。彼の紡ぎたすメロディの素晴らしさを、他のアーティストのカバーを通じて、ファンは再認識することになる。

次作「時代は変わる」というプロテストシンガーとしての最高傑作を発表したあと、「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」というアルバムを発表する。ここには、"All I Really Want to Do", "Chimes of Freedom", "To Romana", "My Back Pages", "It Ain't Me Babe"といった名曲がキラ星のごとく並んでいる。フォーマットは、まだフォークスタイルだが、これらの曲の多くがロックスタンダードになっていることからもわかるように、ロックのリズムと気分が内包されている。そして、次の作品「ブリング・イット・オール・バック・ホーム」でエレキギターを導入し、ステージでは保守的なフォークファンの罵声を浴びることになる。

それにしても、ディランがニューヨークに出てきて付き合うようになった女性は、みな知的で美しい。スージー・ロトロと別れたあと、ディランはジョーン・バエズと行動を共にする。当時、彼女は、フォークファンにとっては、女神のような存在だった。ジャケットに写るディランは、繊細で傷つきやすく、シャイで気難しく、甘えん坊で反抗的、自分の才能をもてあましていてイラついている少年という感じ。それが、彼女たちの母性本能を刺激したのだろうか。



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