先生が語る大人の音楽

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レーナード・バーンスタイン「マーラー交響曲全集」

レーナード・バーンスタイン/マーラー全集
久しぶりにクラシックの話を。これは、アメリカ生まれ、アメリカ育ちのレーナード・バーンスタインの残した世界文化遺産ともいえる「マーラー全集」である。右がマーラー、左のいい男がバーンスタインである。

ひとりだけ好きな指揮者を挙げろと言われたら、バーンスタインを選ぶかもしれない。彼は、晩年、ドイツの名門レーベル、グラモフォンと契約し、ウィーンを拠点に、すっかり大物指揮者としての風格を身につけていた。

しかし、晩年の彼がウィーンフィルと残したベートーベンなどを聴いてもピンと来ない。私が好きなのは、アメリカのニューヨークフィルの主任指揮者として、コロンビア(今はソニー)に大量の録音をしていた時期である。

彼は、おそらく史上最高のマーラー指揮者として、記憶されるだろう。マーラーの交響曲がほんの一部しか取り上げられない時代にあって、全集を完成させたのも彼だし、その曲としての魅力を卓越した構成力で世に知らしめたのも彼の功績である。そのほかには、アイヴスやシューマンの演奏も好きである。

バーンスタインのマーラー演奏に惹かれるのは、彼の存在そのもの、人生そのものがマーラーの交響曲と共鳴し合っているからだと思われる。バーンスタインを理解するキーワードは、ただひとつ「分裂」である。

作曲家と指揮者。彼は、史上最強のミュージカル作曲家になりえた。彼が若かりし頃作曲したのが、あの有名なミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」。ひとつひとつの曲の質の高さ。全体を貫くモチーフ。「キャッツ」や「オペラ座の怪人」を作曲したアンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカルをしのぐと思う。彼は、超カッコいいスター指揮者として仕事をこなすら、交響曲を中心にコツコツと作曲を続けた。ところが、これがため息が出るくらいの駄作。交響曲というフォーマットに自分の曲想を無理やり押し込んでいる印象で息苦しい。

アメリカとヨーロッパ。彼は、おそらく死ぬまで、ヨーロッパ文化に対するコンプレックスを持ち続けたに違いない。アメリカのオケは、技術的にはヨーロッパのオケよりも上をいくところが多いが、無味無臭で無個性に聞こえてしまう。そういうオケを使って、個性的で尖がった演奏をして、名をなしたわけだが、晩年はウィーンフィル伝統のまろやかな薫り高い音に魅せられて、海千山千のヨーロッパ人に籠絡される。晩年の演奏は、マーラーなど一部を除いて、今の耳に聞くと、どこか「かったるい」演奏になってしまっている。

教育者と発展家。彼は、クラシックの啓蒙に熱心で、テレビ番組まで持っていた。語りが上手で、文章も論理的。アメリカの一般大衆にクラシックの魅力を伝えるために、努力を惜しまなかった。小沢征爾など、弟子もたくさん育てた。一方で、アメリカ人が抱える様々な社会的病理を体現する存在でもあった。性の問題(奥さん子供がいたが、男色の噂が絶えなかった)、ドラッグの問題などなど、危うい噂に囲まれていた。

ユダヤ人とリベラル。彼は、アメリカのリベラルな知識人として、社会問題に積極的に発言していた。ビートルズの音楽性についても、いち早く認めていた。人間性というものに絶大な信頼を置いており、ベルリンの壁が崩壊したときには、東西混成のオケで、ベートーベンの第9をヒューマンに演奏したりした。その彼が、ことイスラエル問題になると、一転タカ派になり、同じ人間の発言とは思えないほど、保守的で、自分勝手は発言を行ってしまう。その血がそうさせたのだろうか。

このような様々な分裂が、バーンスタインという大きな人間の人格の中で統合されている。それは、あたかも、マーラーの交響曲が、一見両立不能なメロディの断片を飲み込んで、ひとつの曲としての一体感をかろうじて保っている姿に似ている。

もちろん、卓越した読譜力、音を聞き分ける力、リズム感、情報処理能力、惚れ惚れする指揮姿、カリスマ性。指揮者としての資質を最高度に備えていたから、スター指揮者なのだが、カラヤンのように完璧な隙のない人間を演出するのではなく、そういう分裂した人間であることを不用意にさらけ出してしまうところ。それがバーンスタインの魅力だと思う。

バーンスタインは、カラヤンが主任指揮者を務めていた当時のベルリンフィルを一回だけ指揮したことがある。曲目は、マーラーの交響曲第9番。クールでゴージャスな音を出すベルリンフィルが、バーンスタインに煽られ、ドライブし、恐竜の叫び声のような音を出す怪演。このディスクを聴いたカラヤンは、それ以後、けっしてバーンスタインがベルリンフィルの指揮台に立つことを認めなかったという。

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リー・モーガン「キャンディ」

リー・モーガン/キャンディー
前回のクリフォード・ブラウンに続いて、今回もジャズ史に残る天才トランペッターを。ジャケットは、リー・モーガンが名門ブルーノートに残した名盤「キャンディ」である。

彼も、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに在籍していた。クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリスと、凄いトランペッターは、みんながみんなブレイキーの下で腕を磨いている。

なぜだろう? と一瞬考えて、すぐに思いついた。もうひとつのエリートコースであるマイルス・デイヴィスのバンド。マイルスがトランペッターだったので、トランペッターは育たなかったのであった。

ということで、このリー・モーガン。天才少年だった。クリフォード・ブラウンの生まれ変わり。といっても、ブラウニーが死んだ頃生まれたわけでない。しかし、彼の死を悼んで、サックス・プレイヤーのベニー・ゴルソンが作曲した"I Remember Clifford"。この曲を、リー・モーガンは、19歳の時に吹き込んでいる。このプレイたるや、ジャズ・トランペッターのすべてのバラード演奏の頂点に君臨する決定的な演奏である。

50年以上もジャズを演奏してきたかのような老成したプレイ。のちに、この曲には歌詞が付けられてスタンダード化したが、彼の演奏ほど胸を打つものに出会ったことはない。

10代にしてこんな演奏をしてしまったリー・モーガンが、ワンホーンで吹き込んだ名作が、この「キャンディ」である。ジャズにおいて、ワンホーンで1枚のアルバムを通すのは、至難の業である。サックスとのアンサンブルやアドリブの応酬ができない。ひたすら、トランペットの技術で聴かせることになる。

この後、ジャズ・メッセンジャーズに参加して、ベニー・ゴルソンとのコンビで、ハード・バップの名作を次々残していく。「モーニン」や「サンジェルマンのメッセンジャーズ」は、そんなときの名作。この「キャンディ」でも、氷の上を滑るような滑らかなアドリブプレイを聴くことができる。

これは天才の業。彼の場合、反射能力というか、頭の回転の速さを感じる。凄いスピードで計算した上で絶妙なフレーズを繰り出す。何が求められているのかを瞬時に判断して、反応していく。それを、テクニックが支えているという感じである。

このアルバムでは、"I Remember Clifford"を彷彿させるバラード演奏、"All the Way"を聴くことができる。この曲は、フランク・シナトラの名唱で知られる名曲。美空ひばりの生前に、彼女の持ち歌を録音することがはばかられたように、シナトラの眼の黒いうちに、若造がこの曲を吹き込むのは、普通の神経で考えられない。この傲慢さ。そして、すべての人を納得させてしまう圧倒的な演奏。

しかし、才能のおもむくままに演奏を続けてきたことから、そのヒラメキが弱まってくると、だんだん演奏がつまらなっていく。リー・モーガンは、いったんシーンから消えかけた。しかし、その彼に、神は再び微笑みかける。1963年に吹き込んだ"The Sidewinder"。車のコマーシャルに使用されて、ジャズ史上に残る大ヒット。ポップチャートの25位まで上昇する。

この曲。いまやリー・モーガンの代名詞となっている。ジャズに関心があるロックファンに聞かせたい。8ビードに乗って、トランペットが疾走する。スタイリッシュで、ジャズ的な難解さは皆無。ジャズとロックが最高レベルで融合した瞬間がそこにある。

ところが、最後の最後に、今度は悪魔が彼に微笑んでしまう。72年、ニューヨークのジャズクラブで出演中。演奏と演奏の間の休憩中に、クラブに乗り込んできた愛人が拳銃を発射。あっけなく射殺されてしまう。写真でみる彼は、伊達男。きっとモテたに違いない。それが仇になったか?

私は、彼の天才が最も輝いていた時期。若くして円熟の域に達し、自分の天才に酔っていた時期。そんな時期の演奏に惹きつけられる。結局、彼は、"I Remember Clifford"1曲だけでも、ジャズの歴史に名を刻んでいたのだろう。

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クりフォード・ブラウン「クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ」

クリフォード・ブラウン/クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ
これは、伝説のトランペッター、クリフォード・ブラウンがマックス・ローチとのコンビで残した数々の名作の一枚。

史上最高のトランペッターは誰か? もちろん、総合的に見たら、マイルス・デイヴィスに決まってる。しかし、トランペット奏者ということだったら、私は躊躇することなく、クリフォード・ブラウンをあげる。

彼の前には、ジャズの創始者といっても過言ではないルイ・アームストロング、チャーリー・パーカーと組んでパップ期を創成し、すべてのトランペッターの憧れだったディジー・カレスピーもいたし、彼の後には、テクニック的には上を行くフレディ・ハバードやウィントン・マルサリスもいる。

しかし、ジャズファンの多くが大好きな時期、ハードバップ期のトランペッターに限定するならば、最高のトランペッターはクリフォード・ブラウンしか考えられないだろう。それほど、彼の作品における演奏は圧倒的である。

彼は、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーの出身者である。多くのジャズマンが、このバンドで修業をして、一人前になっていった。この時代の作品では、「バードランドの夜」が最高。冗談ではなく、トランペットの口から火が吹いているのではないかというような熱い演奏。

クリフォード・ブラウンは、当時のジャズマンに珍しくクリーン(麻薬をやってないということ)だった。大学では数学を学んでいたという経歴を聴くと、理科系でクールなイメージを持つ。しかし、演奏は常に暑く、熱い。1枚、「ウィズ・ストリングス」というオーケストラをバックに録音したものがあるが、意外と面白くない。実は、マイルスとはちがって、バラード演奏が苦手だったのではないかと思われる。

しかし、その流麗なアドリブプレイは、とても人間業とは思えない。マイルスがその演奏を聴いて嫉妬したと伝えられるが、入念な準備をして、おそらくアドリブの大部分を事前に練習してくるマイルスとは違って、メロディがこぼれ落ちてくるといった感じである。

彼でさえも、その場ですべてのフレーズを生み出していたとは思えないが、そこで紡ぎだされるメロディは、作曲家が入念に作った曲のように完成されている。このアルバムに残された"Joy Spring"という曲で、彼が行ったアドリブは、ジャズ史上もっとも美しいアドリブではないか? マンハッタン・トランスファーというボーカルグループは、このアドリブをそのまま譜面に落して録音しているくらい。

クリフォード・ブラウンの作品には、出来不出来がない。ブルー・ノート時代のものも素晴らしいし、ヘレン・メリルという女性ジャズ・ボーカリストのバックを務めた作品"You'd be so Nice to Come Home"で聴かれるソロは絶品。

しかし、やはり、マックス・ローチと組んでいた頃がバンドとしてのまとまりも強く、彼のトランペットも輝いていた。マックス・ローチは、チャーリー・パーカーやパド・パウエルのバックを務めていたジャズ史上最強のドラマーである。そのローチのサポートを得て、伸び伸びと演奏をしている。

このアルバムには、"Joy Spring"のほかにも"Delliah""The Blues Walk""Daahoud"という名演奏が収録されいる。このアルバムの弱点としてよく指摘されるのが、サックスを担当しているハロルド・ランドである。たしかに、超一流の演奏とはいえない。しかし、無駄のない演奏で、クリフォードの演奏を引き立てている。逆に、その後任にバンドに加入したソニー・ロリンズとの相性は良くなかったようである。

天才の名を欲しいままにし、周りの人間に愛されていたクリフォード・ブラウンは、しかし、突然の死を迎える。1956年6月26日、バンドのピアニスト、リッチー・パウエルの妻が運転する車に乗って、雨の中、シカゴに向かったがスリップを起こしてしまう。リッチーとともにこの世を去ってしまう。25歳だった。私は彼の一生に思いをはせるとき、ルネサンスの画家、ラファエロの一生と重ね合わせる。

マイルスに牽引されていたジャズは、常に進歩していくことが運命づけられた音楽ジャンルである。ハードバップ時代は次第に終息に向かいつつある時代。彼がそのまま生き続けたら、時代遅れの存在になり、懐メロ奏者になってしまったかもしれない。しかし、とても短い活動期間に彼が残した作品と、彼の死を悼んでベニー・ゴルソンが作曲した"I Remember Clifford"は、ジャズの歴史に永遠に刻まれるのである。


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ビリー・ジョエル「ストレンジャー」

ビリー・ジョエル/ストレンジャー
このカッコいいジャケットは、今や私と同じようにメタボおじさんになってしまったピアノマン、ビリー・ジョエルの最高傑作「ストレンジャー」。

私がビリー・ジョエルの音楽に最初に出会った場所を何故かはっきりと覚えている。高校生のとき、家族と行った温泉街のホテル。そこにあったジュークボックス。何か聞きたいなと思って、何気なくかけたのが、ビリー・ジョエルの"My Life"だった。

キャッチーなメロディ。ちょっと人を喰ったボーカル。そして、魅力的なピアノ。ハードロックを聴いていた高校生の私には、ちょっと大人な音楽だった。

大学に入った頃、いまやこれもメタボおじさんの田中康夫が書いた「なんとなくクリスタル」がベストセラーになり、そこに登場するポール・デイビスの"I Go Crazy"など、この手のオシャレな音楽が街に流れるようになった。早稲田の汚いサークルのラウンジにたむろしていた私は、田中康夫の描いた世界に、言いようのない反発を覚えたが、ビリー・ジョエルとボズ・スキャッグスは、よく聴いていた。

デビュー曲"Piano Man"(中島みゆきの「時代」のような位置づけ)がそこそこヒットして、比較的恵まれた形でキャリアをスタートした。ちなみに、サザンの桑田圭祐は、このビリー・ジョエルに大きな影響を受けている。たとえば、「私はピアノ」は、ピアノマンのイメージを原由子にあてはめたもの。曲調は全然違うが、しっかり歌詞の中に「雨の日にはビリー・ジョエル」と入っている。

しかし、"Piano Man"のヒット後、低迷の時代が続く。それを打破して、一気にスターダムに上りつめたのが、この「ストレンジャー」という作品である。このアルバムは、ニューヨークをテーマにしたコンセプトアルバムのような趣である。

歯切れのいいボーカル、単純そうで実は凝っている(途中3拍子になったりして)"Moving Out"。そのあとに、哀感豊かなピアノの調べにのって口笛が流れ、"Stranger"が始まる。私は、この曲が彼の最高傑作だと思っている。詞のリズムと曲のメロディが、これほどばっちり合っているのは、ほかにビートルズの"Help"くらいじゃないか?

次の曲は、グラミー賞受賞曲の"Just the Way You Are"。これを「素顔のままで」と訳したのは許せる。もはやスタンダードナンバーの名曲。最初聴いたときは、フワフワしたメロディが気に入らなかったが、じわじわと良さが分かってくる曲。こういうのを大人の歌と言うのでだろう。

それ以外にも、大人のカップルが語り合っている情景が浮かぶ"Scene from the Italian Restraunt"。ピアノマンの本領発揮の"She's Always Woman"や"Viena"などが並び、ラスト曲らしいラスト曲"Everybody Has a Dream"。これで終わるかと思いきや、最後にストレンジャーの時に流れていた口笛がリフレイン。完璧な構成。すべてが名曲である。

次作「ニューヨーク52番街」には、"My Life"や"Honesty"が、次のアルバム「ガラスのニューヨーク」には、"You May Be Right"など好きな曲が並ぶ。この頃のビリーは最高だった。

そのあと、歴史に名を刻むアルバムを残そうと変な野心を燃やし「ナイロン・カーテン」を発表。いい曲がないわけではないが、われわれがビリーに期待していたものとは違う。背伸びしすぎ、上から目線の曲にファンからそっぽを向かれてしまう。

しかし、反省して、今度は60年代ポップスを意識した(というかパクッた)「イノセント・マン」で復活。トップスターに返り咲く。しかし、私が好きなのは、ニューヨーカーの日常を描いたもの。彼は、情景の描写が上手で、映画のシーンを見るよう。そこに、最高のメロディが聞こえてくれば、何も言うことがない。

それにしても、"Honesty"の歌詞ほど、的確に今の社会状況を予言しているフレーズはないような気がする?
Honesty, such a lonely word,
Everyone is so untrue


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ロッド・スチュアート「アトランティック・クロっシング」

ロッド・スチュアート/アトランティック・クロッシング
この派手派手しいジャケットは、ロッド・スチュアートというイギリス最高のロックボーカリストの作品である。

今の若いリスナーで、ロッド・スチュアートという人を知っている人はいるのだろうか? 知っている人がいても、スタンダードナンバーを歌い続けているオジサンとしてのイメージしかないのではないのか。はっきり言ってしまおう。ロッド・スチュアートは、かつて、ストーンズのミック・ジャガー、ヴァン・モリソンに匹敵する名ボーカリストとして名を馳せたロック界の最重要人物なのである。

彼は、1回前に取り上げたトム・ウェイツ同様、いや、それ以上のシワガレ声である。酒の飲みすぎで声を潰したともいわれる。しかし、そのシワガレ声で繰り出される力強いシャウトは、ロックボーカリストの規範となった。

彼は、18歳から音楽活動をはじめ、いくつかのバンドを渡り歩いた後、21歳の時にジェフ・ベックのグループに加入する。そこで完成されたバンドフォーマット、つまりボーカリストは基本的に歌に専念。ギタリストは、ひとりでガンガン弾きまくるという演奏パターンは、レッド・ツェッペリンのモデルになったもので、事実、当時のジェフ・ベック・グループのレパートリーとツェッペリンの初期のレパートリーは重なる部分が大きい。もっとはっきり言ってしまうと、ツェッペリンは、ジェフ・ベック・グループのコピーバンドとしてスタートしたのである。

このバンドがもう少し続いていたら、ロック史に残る名盤を次々と生み出していったと思うが、ジェフ・ベックにバンド運営能力はなく、音楽上の意見の対立からロッドはあっさりと脱退。スモール・フェイセス(のちにフェイセスに改名)をロン・ウッドと結成する。ロン・ウッドは、のちにセカンド・ギタリストとして、ストーンズに参加する。このフェイセスは、商業的にも成功し、ロッドは、イギリスの女の子たちのアイドルになる。

フェイセスと並行してソロ活動も展開。いい曲を見つけてきては、せっせとソロアルバムの方に録音していた。バンドのアルバムを手抜きしているとの非難を浴びてしまい、フェイセスの人気が絶頂だったにもかかわらず、バンド脱退を余儀なくされる。そして、「ガソリン・アレイ」「エヴリィ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」といった名作アルバムを発表する。ボブ・ディラン、エルトン・ジョンから、モータウンのR&Bグループの曲など、卓越した選曲眼で、自分の声質にあった曲を見つけてきていた。

「エヴリィ~」に入っていた"Maggie May"は、英・米の両方のチャートでナンバーワンヒットを記録した。これを機に、大西洋を渡り、巨大マーケットであるアメリカに拠点を移して活動することを決断する。そして、発表されたのが「アトランティック・クロッシング」である。

実は、このアルバム。CDでは魅力が伝わらないかもしれない。LPの頃は、A面がファーストサイド、B面がスローサイドとなっていて、私は、ひたすらスローサイドを聴いていた。しかし、CDでは、そのままかけると、ファーストサイドが始まってしまう。

このアルバムのスローサイド。キング・クリムゾンのファーストのA面、ビートルズの「アビー・ロード」のB面と並んで、アルバムの1面単位においては、私の中ではベストスリーに入るほど気に入っている。1曲目は、エヴリシング・バット・ザ・ガールもカバーした名曲"I Don't Wanna Talk About It"。「もう話したくない」という邦訳はどうにかして欲しいが、これはスゴイ名唱。

ロッドは、シワガレ声ではあるが、特にスローな曲を歌った時に、歌詞の意味が直接心に突き刺さってくる印象を受ける。言葉を大切に大切に歌っているのだ。絶対に寝起きに聴いてはいけない音楽。寝る前に部屋を暗くしてしみじみと聴いてください。

2曲目は、"It's Not the Spotlight"。夜の雰囲気がよく出ている。シワガレているが、老人の声ではなく、何か甘酸っぱい青春のイメージを持たせる声。3曲目は、"This Old Heart of Mine"。アイズレー・ブラザースの名曲。ロッドは、"Twisting the Night Away"など、ソウル系のメロディアスな曲を歌わせると絶品。

4曲目、朴訥としたラブソング"I Still Love You"を経て、最後に壮大なスケールの"Sailing"。この曲もカバーだが、ロッドのこれが決定版。武道館に観にいったライブでも、この曲がラストナンバーで演奏された。これを聴いて感動しない人は、たぶん感性が鈍いのだろう。高校時代カセットテープにお気に入りの曲を編集して、ウォークマンで聴いていたが、キング・クリムゾンの壮麗な"Epitaph"がフェイドアウトしていった後に、光がさっと差し込むようなイントロをもったこの"Sailing"をラストに持ってくるというパターンが好きだった。

この後に発表した「ナイト・オン・ザ・タウン」「明日へのキックオフ」も同程度の名盤。その後、だんだんとパワーダウンしていく。考えたら、彼は1945年生まれだから、もう63歳。スタンダードも歌いたくなるわな。まだまだ、スタンダードシンガーとしては、フランク・シナトラの足元にも及ばないが、いつか小さなホールで、彼の歌をじっくりと聴いてみたいと思う。

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